備後クラブ(三庄町)高齢者福祉施設に再生 12月上旬オープン予定

大正時代に建設された因島市を代表する旧備後クラブ(観音山荘)が今、地域密着型の高齢者福祉施設=「びんご倶楽部」に生まれ変わろうとしている。この試みは、旧シーサイドホテルの高齢者総合福祉施設「花園」へのリニューアルにつぐもので、注目が寄せられている。

完成予定図。1階はデイサービスセンター、2階はグループホーム。

完成予定図。1階はデイサービスセンター、2階はグループホーム。

経営は、有限会社びんご倶楽部(因島市三庄町7区3472番地、TEL0845-22-9266、携帯090-4224-8037)。代表者は備後クラブのすぐそばで生まれ育った菅近(かんちか)信さん。観音山荘オーナー菅近綾子さんの長男である。計画は4年前から準備が始まった。9月中旬に起工式、年内12月上旬オープンを予定している。工事は、(株)小川工務店、(株)中電工因島営業所、(有)光和工業所の共同施工。

文化財の価値のある、石造り組み立てアーチ式門構えと石段は保存される。木造2階建。延床面積576.42平方メートル。1階が老人デイサービスセンター、2階は認知症高齢者グループホーム。定員は、デイサービス20人、グループホーム12人、短期宿泊所5人。ケアマネージャーなどスタッフ募集中で、9月中旬には新聞折込広告が予定されている。

三庄と因島を元気にしたい

菅近信代表(57歳)は、高齢者福祉施設「びんご倶楽部」への想いを次のように語る。

「私たちは皆、人生の晩年を自分の住み慣れた町で、家族や友人たちに囲まれて暮らしたいと願っている。認知症になったり身体が不自由になったりして、介護が必要となったとき、住み慣れた街で、親しい人たちと切り離されずに暮らしていきたいと願う。そのような願いに応えられるサービスを提供したい。」

菅近さんにとって、備後クラブは子どものころセミとりに興じた最も思い出のある場所。そこで、子どもの頃から世話になったお年寄りのお世話をし、そこに家族が歩いて訪ねてくる、そうした暖かい雰囲気を願っている。新しい町並みと人の流れが生まれ、三庄町と因島市が元気になればと想う。そして、時代の要請に応えて因島を「福祉の町・介護の島」にしたいと将来の夢を語る。

時代とともに姿をかえる三庄町・神田(じんでん)

 備後クラブの歴史は、三庄町神田(じんでん)の移り変わりの歴史でもある。備後クラブは大正初期に大阪鉄工所因島三庄分工場が賑わったころに会社の接待などを目的に建てられた高級割烹料亭で、その周囲には、工場長宅や課長宅など赤壁の洋館があったという。坂の下は花街で、夜でも昼間のように明るく賑わっていた。芸奴置屋、三味線の先生、日本髪結い、玉突き、下駄屋、写真館、銭湯など各種の店があり、因島随一の繁華街であった。太平洋戦争末期には、この町並みは空襲に見舞われ犠牲者がでた。

戦後の備後クラブは日立造船に受け継がれた。やがて日立造船健康保険組合管理下で、従業員の保養所、結婚式、忘新年会などで利用された。昭和60年、菅近綾子医師に所有権が移行し、民宿の観音山荘に変わった。

特別養護老人ホームしまなみ苑が日立造船三庄工場跡地につくられたのにつづいて、「びんご倶楽部」の建設が始まった。造船の街から福祉の街へと移り変わりつつある。写真は昭和30年頃の備後クラブの通り。

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