高校弓道大会さやか吉備神社の矢場に並べる的に挑みぬ

和田 綱郎

 弓といえば那須与一、高校弓児と同じ年恰好での扇射落しをお目にかけます。…その時、沖から紅扇を飾った小舟一艘が源氏方へ近付いてくる…


義経 「あれは何か」
将某 「扇を射ち落としてみよ、との謎です」
 人選の末、二十歳前の那須与一が召される。
与一 「扇の射落しは射ってみないと分かりませぬので…」としぶる。幕僚が総がかりで宥めたり、すかしたり、威したりの後…
与一 「命令だから…」と沖に向う。
 時は千百八十五年(寿永四年)、頃は二月十八日午後六時、北風激しく波高し…沖には一面の平家船、陸には源氏轡(くつわ)を並べ共に是を見る。何れもいずれも二度とはない晴舞台なり。
 されど波荒く、的は定まらぬ。与一は目を塞ぎ「南無八幡…願わくは、あの扇の真中射させ給え」と祈り、目を見開けば、風も吹き弱り、与一、矢を番えて「ひやう」と放つ。与一、小兵といえども弓は強し、浦ひびく長鳴りして、あやまたず扇の要際一寸ばかりを、ひふつとぞ射切りたる。
 扇は空へ舞い上がった。
 夕日輝く海、その白波の上を紅の扇が漂い、浮きつ沈みつ揺れつづく、それを見て、沖では平家が船ばたをたたき、陸では源氏が箙を叩いてどよめいた…。
 あまりの面白さに、船中から黒皮おどしの鎧に白柄の薙刀を持った五十ばかりの男が現われ、先ほど紅扇を立てた場所でゆったりと舞い始めた。
 それを見た伊勢三郎「殿の命だ、仕れ」と指示、与一、男のしゃ首の骨をひょうふつと射て船底にまさかさまに射落とし…忽ち合戦再開となったじゃアないの。
 付記…後日、那須与一は屋島の扇射落しなどの功に対し、源頼朝より「丹波、信濃、備中、若狭、武蔵」の五国に荘園を賜る。

(文・平本雅信)

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