北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【11】

開戦と日系移民の迫害

キミコとカツヨリが結婚。カナダに移住して15年。二人は農場経営に成功。労務者や五人の子どもたちの世話を助けてくれる女性をバンクーバーから雇うまでになりました。


1941年(昭和16年)の実りの秋が近づいてきたころには借金全額返済のメドが立ち、さらに土地を購入して農場の規模を拡大させる計画を楽しみにしていました。心配だったカツヨリの虫垂切除手術(盲腸炎)も無事終え12月7日に退院しました。しかし、一家の喜びに満ちた時間は束の間でした。

日本の日時では12月8日。米国にとっては7日、日曜日の朝のあの呪わしい日本軍のハワイ真珠湾攻撃のニュースが流れたから大変です。それまで水面下で反日感情がふつふつとわいていたものが一気に沸騰。日系人は大人も子どもも関係なく日常的な嫌がらせや暴力を受けるようになりました。

年が明けた1942年2月24日には、戦争対策制定法の下で内閣は戒厳令を出しました。日系カナダ人に対し、夕暮れから夜明けまでの外出禁止を強要。釣り船、自動車、家屋、ビジネス、そして個人的財産のすべてを没収するというものです。

キミコが親しくしていたエージェント(仲介業者)だったギャビン・モアットは湾内にある島々の敵国民所有財産管理人の代理として任命されました。さらに3月17日、カナダ騎馬警官隊(カナダ連邦警察)はキミコと1歳から13歳までの5人の子どもたちを残し、カツヨリだけを留置所へ連行しました。

4月22日、キミコと5人の子どもたちは日系カナダ人たちと共に、プリンセスメアリー号に乗船させられ湾内にある島々で次々と日系人を乗せバンクーバーのハスティングバークの家畜用の納屋へ連行されました。

(庚午一生)

USS_California_sinking-Pearl_Harbor
真珠湾攻撃で轟沈する米戦艦カリフォルニア

[ PR ]因島で家の解体のことなら「吾城」へ

当社には家の解体専門の部署があり、お客様のご希望に合わせた、よりよい施工内容をご相談・ご提案させていただいています。

空き家になった時のそのままの状態で、家具や食器、衣類などの処分から、解体後の用途に応じて砂利敷きや、アスファルト舗装等の工事までを一貫して施工します。

丁寧かつ迅速な施工で、因島はもとより島嶼部や尾道近郊においても、幅広く、ご好評いただいております。

【対応住宅】
木造住宅 / RC鉄骨 / 軽量鉄骨住宅 / アパート / 工場 / マンション

【お問い合わせ】
有限会社 吾城(ごじょう)
広島県尾道市因島重井町5800-42
TEL0845-26-2282