大分県宇佐市の市民団体 日立造船因島工場への米軍の空襲映像を公表

攻撃をうける熊野丸(因島工場)

太平洋戦争資料の調査・保存をつづける大分県宇佐市の市民団体「豊の国(とよのくに)宇佐市塾」(平田崇英塾頭)は10日、昭和20年3月19日の日立造船因島工場への空襲など7県の米軍が撮影した空襲映像を公表した。

写真上部は、因島工場で建造され、岸壁で艤装中の「熊野丸」(M丙型陸軍特殊空母、9500総トン)が攻撃されているもの。

写真手前にドック入渠中の船舶が、右側に船台で建造中の船舶が見てとれる。現在はないが、写真中央に因島工場であることを示す小山がある。

「宇佐市塾」の資料には次のように記されている。

―この日、因島工場は27機の米艦載機(F6Fx13機、F4Ux14機)によって空襲を受けた。米軍は「熊野丸」を狙って爆弾やロケット弾を投下したが、外れて造船所の敷地内に落ちたものも少なくなかった。そのため、造船所に勤務していた人々からも死傷者が出ている。

日本陸軍 M丙型特殊船「熊野丸」
日本陸軍 M丙型特殊船「熊野丸」

帝立丸も攻撃

3月19日の空襲によって因島工場の沖に停泊していた帝立丸も攻撃を受け、軍人が死亡した。
この攻撃で右腕を失った電気技師の板倉治男さん(当時25歳)は次のように証言している。

―エンジンをかけずに土生―生名―弓削の中間あたりに停泊していた。零式水中聴音機(対潜水艦)の試験運転のために待機中に爆弾の攻撃を受けた。

目の前に、下半身のない内臓がない軍人の上半身が落ちてきた。サロンデッキに5、6人の兵隊の死体が並んでいた。デッキ上の砲台から反撃したが、その全員が狙われた。

3月19日空襲の全貌は明らかになっていない。「広島県戦災史」は、「帝立丸が機銃掃射を受け、工員一人死亡、技師一人が右腕を失うなどの被害があったという(日立造船関係者談)」と記述している。

しかし、今回の「宇佐市塾」の映像の公表で、3月19日の空襲が決して小規模なものではないことが、いっそう明らかになった。

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