碁打ち探訪今昔四方山話【9】日本棋院囲碁殿堂資料館 第一回殿堂入徳川将軍

45歳で囲碁の虜に

我が国の歴史上の偉人ベスト10をあげるとすれば戦国の世を統一した徳川家康が上位にランクされてもおかしくないでしょう。2004年11月、日本棋院創立80周年記念事業として設立された殿堂資料館第1号に徳川さんが殿堂入りしたことも異論はなかったようです。後世、無類の碁好きだったと伝えられるが、興味を持ったのは天正15年(1587)のころで、この年の夏に京都の日海の指導をうけたという記述が残っています。

徳川家康
徳川家康


それを裏付ける記述では慶長17年(1612)2月に秀忠夫人(お江与の方)宛の手紙で「囲碁は中年になるまで知らなかった。人生に役に立たないものだと思っていたから…」と書き送っています。家康は1542年生まれだから45歳にして囲碁の面白さ、深さに目覚めたといっていいでしょう。そして翌年の天正16年には秀吉の向うを張って「全国大会」を開催しましたが囲碁の師匠である日海が優勝しています。

慶長8年(1603)江戸に幕府を開き征夷大将軍になりますが、その地位を退き、子息の秀忠に譲って駿河(静岡県)へ隠棲。それからは大御所となって囲碁三昧の日々を過ごしたといわれています。家康は人生50年といわれた時代に75歳まで生きていますから約30年間の後半生は囲碁を楽しんだことになります。大御所は慶長20年、囲碁の宗家たちに扶持(ふち=武士の給与)を与えることにし本因坊50石五人扶持、利玄50石五人扶持、道石50石のほか将棋の大橋宗桂にも50石五人扶持を与えています。こうした碁打ち衆を駿府に呼び寄せ指導を受けたり城中の女房たちの碁会を催したりして楽しんだようです。

「旧坐隠談叢」に日海は家康公の命により、寂光寺を法弟・日栄にゆずり、隠居して本因坊を「氏」とす。このとき家康公により「棋所(ごどころ=碁打ち衆の総取締役)」を命ぜられ、算砂と改名。常に家康公に持し、江戸に下れり―と、日海が家康の命で初代本因坊算砂を名乗るようになったいきさつが書き残されています。

(庚午一生)

秀吉・家康が囲んだ碁盤と碁子
秀吉・家康が囲んだ碁盤と碁子

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