「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【8】第二章 はじめての沖縄

初めての沖縄、初めての飛行機である。

旅行や観光に興味のない私である。破防法裁判がなければ、沖縄に行くことも、飛行機に乗ることもなかったであろう。こうして裁判に関係して、何度も沖縄を訪ねるようになった。今から、およそ30年前の1980年代前半のことである。

首都東京における学生たちの沖縄闘争が、どのように沖縄の地元に受け止められているのか。そもそも沖縄とはどのようなところなのか。興味津々であった。

那覇空港に降りたつや、東京から連絡を入れていた、ある弁護士の事務所に向かった。裁判の弁護人になってもらうためである。

もちろん、その弁護士とは初対面であった。私は、手短に裁判の性格を説明し、私の要望を述べた。快諾の返事であった。つづいて私は相談をもちかけた。

「沖縄の弁護士を紹介していただけませんか。できるだけ多くの先生がたに弁護人になっていただきたいのです」

「分りました。これらの先生がたにお願いしなさい」

各事務所の住所と電話番号を聞くことができた。勇気づけられた私は、次々事務所を訪問し、紹介を受けた弁護士全員から承諾をもらった。

那覇市五人、沖縄市1人の6人の沖縄在住弁護団の結成である。あまりの順調さに私自身、目を見張った。

私が想像した以上に、沖縄側の破防法裁判への注目度は高かったのである。「裁判で沖縄闘争の正当性を立証したい」という私の説明に共鳴してくれたようだ。東京地方裁判所という日本を代表する法廷において沖縄闘争の是非が問題となることへの沖縄側からの関心に手応えを感じることができた。

2回目の沖縄訪問の目的は、沖縄弁護団会議を那覇市で開催し、今後の方針を決めることにあった。

第一に、法廷に立ってもらう沖縄在住の証人を誰に依頼するか。当時の沖縄を代表する一線級の有識者の氏名がリストアップされた。

第二に、沖縄問題をテーマにする裁判にふさわしく、東京地裁の那覇地裁への出張裁判を実現すること。

やがて朗報が届いた。那覇地裁での出張裁判が正式に決まったのである。東京地裁の裁判官が那覇地裁の法廷を二日間借りて、公判を開くのである。裁判所が沖縄の声に耳を傾けようというのである。

この決定で沖縄側はいっそう勢いづいた。私は、弁護団会議で決まった証人候補名簿を手に持ち、有識者を訪ね歩いた。

まったくもって怖いもの知らずである。沖縄のことをほとんど知らないことが幸いした。私が無知であればあるほど、地元の弁護士たちが智恵を授け、応援してくれた。

証人依頼で訪ねた人の大半が快諾してくれた。嫌な顔をする人は誰一人としていなかった。最終的に8人の証人が決まった。

喜屋武真栄氏(参議院議員)
仲吉 良新氏(自治労副委員長)
平良 良松氏(那覇市長)
平良  修氏(沖縄佐敷教会牧師)
福地 曠昭氏(沖縄原水協理事長)
国吉 永啓氏(沖縄タイムス記者)
新崎 盛暉氏(沖縄大学学長)
古波津英興氏(沖縄民権の会代表)

いずれも当時の時代の証言者であった。

(青木忠)

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