幕末の天才棋士・本因坊秀策顕彰の悲願「生家復元」着工 尾道市・因島合併記念事業「囲碁の館」建設

幕末の天才棋士・本因坊秀策 広島県唯一の市と市が合併した尾道と因島。合併協議のなかで地域文化を融合、継承するのはむずかしいとされてきた。なかでも囲碁文化という地味な分野の話だからなおさらである。旧因島市が誇る幕末の天才棋士本因坊秀策(1829―62年)にあやかって、囲碁でまちおこしをーと「市技」に制定したのは1997年。以来、まちをあげて囲碁文化の継承や男女の子どもから大人、アマ・プロの競技大会を主催、全国への発信に取り組んだ。こうした流れのなかで、旧因島市が合併前から計画していた、後世、碁聖と仰がれる本因坊秀策の生家復元と囲碁資料館の二つを備える「囲碁の館」を合併記念事業として建設することになった。すでに建設用地の買収も完了、建設費1億5124万9千円が尾道市議会に計上されれば19年度に着工、20年秋のオープンを目指して準備を進める。地元因島をはじめ全国の関係者にとっては悲願だった半世紀の夢が叶えられる日も近い。

囲碁をまちおこしに

「市技」という耳慣れない言葉が旧因島市で誕生した。国技の相撲に習い全国でも珍しい囲碁をテーマにした発案である。もとは、といえば村上水軍の血を引く造船の島、因島である。どうしたことか、幕末に天才棋士本因坊秀策を輩出し、昭和の戦後囲碁界のトップ・アマ本因坊、村上文祥(因島高―早大―荏原製作所副社長=故人)が送り出された。こうしたこともあって因島の囲碁愛好者は約3千人。住民の10人に1人が囲碁をたしなみ、そのうちの約300人が有段者という囲碁のまちである。

そうした環境を「まちおこし」に活用しようと試みたのは造船業界の構造的不況の波をもろに受け「島が沈む」とまでいわれた90年代のころから。

秀策の隠れた功績

なぜ、本因坊秀策が近年になって世間一般にまで脚光を浴び、まちおこしにあやかれるようになったのだろうか。

その遺徳顕彰の一つは、秀策没後5年後の慶応3年(1867)春4月。広島、三原、尾道など有志の浄財で三原城東3キロにある糸崎神社境内に「本因坊秀策師之碑」が建立された。碑文は当時広島藩の儒者木原藉之。秀策が幼児のころより三原藩主浅野候の庇護を受け、商都尾道の大旦那橋本吉兵衛竹下親子の支援などもあって故郷因島が見える糸崎浜松の地を選んだと伝えられる。

そして、大正15年(1926)10月には秀策50年忌に際し、尾道市因島外浦町の生家前に碁盤の台座に乗った「本因坊秀策碑」が建立除幕された。裏面碑文は当時三原出身の貴族院議員で法学博士花井卓蔵氏撰。このように顕彰碑が2基も建立されていることは珍しく、秀策がいかに偉大であったかを知ることができる。

二つ目は、十四代本因坊秀和の「跡目」のまま若干34歳という若さでこの世を去った秀策だが、後世「本因坊」「碁聖」と仰がれたことについて異論をとなえた人はいない。

殿堂入りした秀策

秀策流という先番必勝法の一・三・五という布石を確立。プロ棋士の登竜門ともいわれる名局の数々を通して後進を導く指針として初心者でも秀策先生に学ぶことが多い、と日本棋院の棋聖小林光一氏は傾倒する。

日本棋院創立八十周年記念事業として、2004年11月15日東京都千代田区にオープンした囲碁殿堂資料館。第1回の栄えある殿堂入りを果たしたあのは、囲碁を「国技」に高めた天下人・徳川家康。近代囲碁史の開祖・初代本因坊算砂。後世碁聖と仰がれる島根県仁摩町(現大田市)出身の四世道策と因島出身の十四世跡目秀策の4人。

殿堂入りを前にして、一躍有名になったのが秀策。アニメや漫画雑誌に登場。囲碁に縁が薄かった子どもやご婦人層の囲碁ブームに火をつけたのが、少年ジャンプの「ヒカルの碁」。初挑戦した囲碁を題材とした漫画雑誌が累計で1800万部を突破したというからホクホクである。原作者(絵コンテ)ほったゆみさんは「登場人物のモデルは秀策さんとゆかりの地因島だけ。あとは架空の人物と場所」だという。

これが起爆剤となって全国から少年少女が保護者に連れられて因島の秀策生誕の地へやって来た。当時の因島市は、秀策顕彰碑の付近の駐車場にトイレを新改築、秀策の墓地に通じる道しるべを立てるなど対応に追われた。

25年前、旧因島市制周年記念のイベントとして行われた「名人戦」(大竹名人対 趙治勲、解説朝日新聞竜騎兵―聞き手アマ本因坊村上文祥=シーサイドホテル)のときにはタクシーの運転手が知らなかったという秀策生誕の地だが、現在は全国的に注目を集め訪れる人が急増している。

その時歴史が動いた

NHKも秀策の偉大さに注目。昨年5月6日にはBS2(約2時間)で「碁聖・本因坊秀策無敗伝説」を放映。近代囲碁史に残る秀策流「耳赤の一手」をクローズアップ。7月5日には総合テレビ「その時歴史は動いたー勝負師は志高く」(番組キャスター松平定知、スタジオゲスト木村幸比古霊山歴史館学芸課長)を放送した。

囲碁の天才・神童と騒がれた秀策は9歳で古里を離れ江戸本因坊家へ入門。三原浅野藩からの囲碁留学修業が始まった。家元で受けた教育は囲碁の指導研鑽を通してただ強くなるだけでなく、人としての品格をも植え付ける人間形成だったことにスポットをあて、幕末の動乱期、家元が文化を担う時代から「大衆文化」に姿を変えていく経緯に迫った。

NHK教育で再放送

NHKは昨年5月にBS2で「初心者にもわかる名勝負」というサブタイトルで「耳赤の一手」などを放映したあと、7月には総合の「その時歴史は動いた」で秀策の無敗伝説を放映、反響をよんだ。その一方で、再放送を望む声も多くこれまで番組編成を検討していたが、春の高校選抜野球中ならと、3月25日(日)午後1時5分から同2時55分まで教育テレビで再放送することを決めた。

34歳という若さで激動の幕末期を駆け抜けた本因坊秀策。跡目であったにもかかわらず碁聖・本因坊と仰がれる要因に

  1. 徳川幕府が主催した「お城碁」で前人未到の19連勝
  2. 稀にみる温厚な人柄、沈着冷静、礼儀正しく孝道

など数々のエピソードがあげられる。その秀策を偲ぶメッカ「囲碁の館」によせる思いを描ける場所の創設にかける期待は大きい。

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