碁打ち探訪今昔四方山話【49】秀策の兄弟子本因坊秀和(7)名人碁所願う争碁

因碩倒れ碁所断念
 通算9日間にわたった碁所(ごどころ)就位をめぐる争碁は奉行所の都合で8日目が夜を徹して打ち続けられ白264で終局となった。秀和の4目勝ち。両者は精魂つき果てた大勝負だったが、体調不良で敗れた因碩の落胆は大きかったと思われます。昇り坂にあった秀和の若い力と自らの体力的な限界を知り、この一局だけで争碁の継続を断念したようです。因碩は碁所願いを撤回したが野望を捨てたわけではありません。むしろ心の奥底では再起を期していました。


秀和3連勝で争碁結着
 そうしたなかで、井上因碩陣営の画策で天保13年(1842)5月、再び因碩―秀和の対局が実現します。但し、先に因碩が自ら争碁を願い下げているので公式対局とは認められません。いわば未公認の対局です。しかし、因碩は秀和を破れば、再度碁所を出願する口実もできるだろうと意気ごんでいました。
 対局は旗本磯田助一郎宅で5月16日に始まりました。その日は69手で打掛け。17日は昼夜にわたって打ち継ぎ、翌18日の昼270手までで終局。黒番秀和の六目勝ちとなりました。
 因碩はあきらめきれません。同年11月、彼は7年ぶりに江戸城内で行なわれるお城碁に出仕しました。天保6年以来お城碁を欠場していましたが、将軍家のお好み碁で秀和―因碩の対局が組まれたからです。因碩にとってこれほどのチャンスはありません。秀和七段23歳、因碩八段45歳。両者3回目の対局なので今回は因碩が黒番の順序です。しかし、秀和の黒に勝たなければ碁所就位の理由づけにならないので因碩陣営は公儀に手を回して白番を取ることに成功します。だが、因碩の執念にもかかわらずこの大一番も黒先秀和の4目勝ち。因碩痛恨の3連敗の結果に終わりました。さすがの因碩も再び挑戦することなく彼の野望は絶たれました。
井上家・本因坊家和解
 断念した十一世井上因碩幻庵は悟るところがあって弘化3年(1846)隠居。本因坊丈和の長男、戸谷道和(幼名梅太郎)を養子に迎えて井上家を継がせ本因坊家と和解。以来、幻庵は諸大名家に出入りしながら著述活動に専念しました。有名なものでは「囲碁妙伝」などが残されています。
 本因坊家では翌4年、当主十三世丈策、隠居十二世丈和が相ついで世を去り、28歳の跡目秀和が家督を継ぎ十四世本因坊となり桒原秀策を跡目としました。
(庚午一生)

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