碁打ち探訪今昔四方山話【2】日本アマ棋界に貢献した因島出身の村上文祥八段

アマチュア本因坊戦優勝5回、アマ十傑戦優勝6回という戦績を残している村上文祥さんがいかに強豪であったかがうかがえる。略歴をたどって見ると、1932年尾道市因島土生町塩浜生まれ。亡くなったのは1999年だから享年67歳。天才は早死なのかなあ―と惜しまれた。

アマ本因坊のタイトルをかけ、度重なる名勝負を繰り返した村上―菊池の両氏(因島外浦町にあった秀策生家の遺品館「碁聖閣」で。)手前が故村上氏。


浜旦那衆の家系を継ぐ裕福な家庭に育てられ土生小学校を卒業すると当時、因島には女学校しかなかったので旧制尾道中学校に進学。敗戦により米軍の占領下になった日本の教育制度は6・3・3制(小・中・高)に改革され、土生高等女学校に併設された因島高校に編入学した。

そのころの話ですが、理科(生物)の教師で備南酒造(有)社長の藤本淳一という碁好きでスポーツマンの先生が「文祥君ちょっと来い」と当直室に呼んで碁を打つことになった。藤本先生はアマ2段の実力。高校1年生の文祥君にハンディー4子なら楽に勝てると思っていたところ連敗。「世の中には強い子がいるもんだなあ」と、生まれつき授けられた"天賦(てんぷ)"の素質を見せつけられた思いを語っておられた。

幼児のころから祖父の膝の上で囲碁となじみ、小学校3年のころから父の指導を受けていたという。中学時代にはプロ棋士の関山利一九段が岡山県の疎開先で開いていた碁会に通って磨きをかけた。さらに当時、向井一男七段や因島三庄町に住んだこともある半田道玄四段などにも教えを乞い、県代表などでその名を知られてきた。

大学は早稲田に入学した。ここの兄弟は二男の麟祥さん(因島対岸の愛媛県生名村元村長)をはじめ弟徳祥さん(アマ6段)ら早大一族、囲碁一家といっていい。早稲田大学に入学すると囲碁部の設立に奔走、自らキャプテンとして活躍するが「西の天才」を向え打ったのが専修大学囲碁部を作って関東リーグに参加した菊池康郎さん。菊池4年生 文祥1年生の初回対決は菊池さんに軍配が上がった。この時から二人のライバル対局が始まるが永遠の良きライバルとして日本アマ囲碁界に数々の業績を残すことになる。

写真はアマ本因坊のタイトルをかけ、度重なる名勝負を繰り返した村上―菊池の両氏(因島外浦町にあった秀策生家の遺品館「碁聖閣」で。)手前が故村上氏。

(庚午一生)

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