碁打ち探訪今昔四方山話【21】新発見 秀策揮毫の碁盤 三原の殿様下賜の逸品

80年ぶり里帰り
 これまで、本因坊秀策の遺品を収蔵していた因島外浦町の生家である桒原家をはじめ日本棋院関係者や地元研究者らの文献に三原城主浅野甲斐守忠敬公から贈られた碁盤が桒原家に存在していたという話はなかった。ところが、今になっていきなり因島の本因坊秀策囲碁記念館に東京都足立区の医師、島田忠彦さん(75)から「三原公が本因坊秀策に贈ったと思われる碁盤を寄贈したい」という申し出があった。


 持ち込まれた碁盤の裏側には

従 三原君賜所也
争先 決勝 国手 神機
安政(月)丁巳初秋
十四世 本因坊跡目
秀策  印

とある。
 さらに秀策揮毫の年月日は4度目の帰郷で

「我が藝藩三原城主浅野氏」より。叔父秀策に下賜された。碁局(盤)の銘なり、秀策没後、因嶋重井村里正(庄屋)村上八太郎勝延が、親姻の故を以って、請うて、これを蔵す。私は秀策が没する年に生まれたので、其の由緒を記述しようにも、素より、其の詳細を直接知ることはできません。唯旧記に戴す所と、我家の口碑とに処り。其の小記を記述す。昭和五年庚午仲秋。六十九叟(おきな=歳)桒原信司」

と添書がついているので専門家の鑑定に依頼せずとも”本物”だろうということになった。
 世が世であれば領主のお殿様下賜の一品として家宝にしていたものだろうが徳川時代も遠くなった昭和五年秋の話だから80年も前の話である。
 その後、重井村の庄屋、村上八太郎勝延さんから因島病院の初代院長だった上島町佐島出身で重井村長だった田中猪太郎さんにその碁盤が渡り、さらに一族の岡山医大名誉教授田中早苗さんから東京の島田さんにゆずられていたのが80年ぶりに元の持ち主に戻ってくるという奇遇な話に心のあたたまりをおぼえた人は少くない。
 贈呈式には島田さんと美紗子夫人(67)が出席したが「夫婦そろって囲碁を好んでいるということもあってか、24年前に叔父で恩師で仲人の故田中早苗教授から碁盤が送られてきました。素材は高価なものではありませんが由緒ある一品なのでキズをつけてもいけないので扱いに困り押入れに所蔵していました。どういうことで私の手元に渡ってきたのか理由などわかりませんが収まるところにお返しして故郷の皆さんに喜んでいただき、いまはホッとしています」と島田夫妻は安堵の表情。なによりもホッとしたのは三原公下賜の碁盤だったのではなかろうか。
(庚午一生)

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