造船ブームの光と影 日立造船「船から陸上部門へ」造船株売却益で環境事業に

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好不況の波が高い造船業界のなかで日立造船因島工場から新造船部門の撤退が決まり80年代後半から数千人の人員削減などの合理化で「島が沈む」とまでいわれた。いまとなれば、悪夢のような惨劇はうそのように中国特需に沸き、30年ぶりの造船ブームが到来している。

だが、本業だった新造船部門から撤退、環境プラント、重機メーカーに転身目標をたてた日立造船は1967年に傘下に入った内海造船(本社 尾道市瀬戸田町)の保有株を造船復活の見通しが見えた今年2月、53%のうち33%を投資会社に売却。さらに11月には「造船事業を巡る経営環境が好調な今が企業再編のベストタイミング」と考え、かつては日本造船界大手ナンバー1(現在2位)のユニバーサル造船(本社・川崎市)の持ち株も売却する方針を発表した。

好景気のなかで創業120余年の歴史を持つ日立造船は事実上、造船から撤退するが、日立造船因島工場内の内海、ユニバーサル工場の新造船部門は休日交代の出勤という忙しさで従業員は平静を保っている。造船城下まち因島の明暗を分けてきた日立造船「本業」撤退への師走の表情にスポットを当ててみた。

日立造船本業撤退へ

JFEの前身であるNKKと日立造船が、それぞれ造船部門を切り離す形で両社が折半出資して2002年に設立したユニバーサル造船。当時、造船3位の日立造船と6位の旧NKK(川崎製鉄と経営統合してJFE)の造船部門が統合し業界トップになった。しかし、2005年には国内シェア(建造ベース)首位の座を今治造船(愛媛県)にあけ渡し2位に転落。2006年3月期の最終利益は資材高騰などを受け約5億円と前期比約80%減ともいわれる。

こうした現状からJFEホールディングスは日立造船からユニバーサル造船の日立造船保有株を買い取り、子会社化し、グループ内の鉄鋼・エンジニアリング会社と連携、コスト削減と受注拡大を目指す。

買収額は数百億円とみられるが、同株の売却については日立造船側から申し入れたもので、1千億円を超える有利子負債を削減して体質を改善、環境関連事業や精密機械など新分野を育成する今後の課題に集中する決断である。

ユニバーサル造船を設立以来、日立造船は事業の中心を廃棄物焼却施設、下水処理施設など環境・プラント分野に重点を置き、造船を含む海洋・船舶部門の売上高の全体を占める割合が8%弱。

主力の環境プラント部門は公共事業の削減で2006年3月期の連結純損益は290億円の赤字に転落。ユニバーサル株の売却で収益改善や環境事業、薄型テレビ関連の製造分野の強化に充てるとみられている。さらに日立造船グループ事業には船舶用エンジンなども含まれており、現時点では造船事業から完全撤退する計画はない―と強調する。だが、ユニバーサル株の大半を売却すれば、日立造船は本来の造船事業から事実上撤退することになる。

同社は2005年度から3年間の中期経営計画では2005年3月末時点で36あった事業のうち12事業から撤退する方針を打ち出している。

自衛隊特需効果

日立造船は、1970年代のオイルショックに続く1980年代の造船業界の構造的不況に対応して尾道市内の因島、向島の2工場でも他事業への転換をはかった。因島工場はクレーン、ボイラーなどの大型鉄鋼構造物を、向島工場では橋や煙突を製造した。因島工場の一部分でユニバーサル造船因島事業所が本業だった船舶の修繕を引き継いだ。  今年3月中旬のこと。海上自衛隊の補給艦や掃海艇など計9隻が相次いで因島土生港に入港した。乗組員は計720人。これだけの自衛艦艇と隊員が一度に入港したのは例がなく、島内はにぎわった。

ユニバーサル造船因島事業所に護衛艦隊所属補給艦「とわだ」、第四二掃海隊所属掃海艇「くめじま」など7隻。内海造船田熊工場には呉警備隊所属多用途支援船「ひうち」など2隻。いずれも呉や神戸を母港としているが、このところの造船ブームで修理の時期が重なって因島へ回航され、6月中旬まで停泊した。

島は、思いもよらぬ「海上自衛隊特需」のにぎわいに沸いた。修繕作業の関連企業、隊員が使用したホテルやタクシー、飲食業者らはホクホク顔。経済波及効果は3億とも4億ともはじく。

中四国の大手、中堅造船会社は新造船建造ブームに乗り船体ブロックメーカーや関連企業もにわかに設備を増強してフル操業。考えられないペースで増産に応えようとしている。ネックはなんといっても人手不足。3年分の受注を抱えている造船業界だが、韓国や中国の追い上げも激しい。

その一方で、日立造船は子会社だった中堅造船会社の内海造船の保有株式53.39%のうち、32.96%を投資会社カレードホールディングに売却。

内海造船が8月に増資したため現在の保有割合は19.93%に下がっている。そのほか、子会社や関連会社を含めた「脱造船」の動きも活発で経営再建のめどが付けば社名を日立造船から「Hitz(ヒッツ)」に変更する話もあり造船城下まちに影を落す日も遠くない。

立つ鳥後を濁さず

創業以来、明治―大正―昭和―平成に渡り栄枯盛衰の歴史を日立造船と共に歩んだ因島とその周辺島しょ部住民。政治経済文化の功罪は相半ばするが、離島にとって恩恵を受けたのは昭和2年、日立造船健康保険組合を設立、現在の因島総合病院ができたことがあげられる。16診療科がある救急指定総合病院として愛媛県上島町4島を含め年間20万人の患者が利用、撤退されるとパニックを生じる。

備後地方で最初のエレベーターを設置、話題を呼んだ地上5階、地下1階の日立会館。造船関係のゲストハウスを一般開放した、ホテルみやじまなど工場外の「日立造船関連施設ゾーン」も老朽化したため再開発を迫られている。こうした地域の問題も企業と行政・住民が目をそらさないで早急に取り組む姿勢を見せて欲しい。

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因島土生町の因島病院・ホテル宮島・日立会館一帯ゾーン

(村上幹郎)