幕末本因坊伝【24】日本棋院囲碁殿堂資料館(5)日本棋院加藤理事長追悼記 一期一会のえにし

掲載号 05年01月15日号

前の記事: “市議会選展望【1】財政再建と尾道圏合併正念場 因島市議選めぐる動きは加速 生き残りかけ腹の探り合い
次の記事: “成人式 因島376人瀬戸田107人

庚午 一生

故加藤正夫氏

 故加藤政夫氏(日本棋院理事長、囲碁棋士九段)は昨年12月30日、脳梗塞と合併症のため東京都内の病院で死去。57歳だった。お別れ会は21日午後2時から東京都千代田区五番町七の二、日本棋院会館。主催は日本棋院で代表は工藤紀夫理事長代行。

 加藤氏は本因坊4期(号は剣正=けんせい)名人2期のほか十段7期、王座11期、天元4期などタイトル獲得・優勝回数47で歴代5位。通算勝ち星1253勝(664敗)で林海峰名誉天元(62)に次いて歴代2位。2002年夏には55歳で23期ぶりに本因坊に送り咲き、本因坊戦史上最年長記録を作った。

 福岡県生まれで木谷実九段の内弟子を経験。小林光一九段の兄弟子。激しい攻めの棋風で大石を取るのが得意だったことから「殺し屋」の異名があった。弟子には「ヒカルの碁」やテレビ出演で人気が高い梅沢由香里五段らがいる。因島市では平成9年5月本因坊戦第一局で趙治勲九段と対局している。

 加藤さんと言葉を交わしたのは昨年11月、日本棋院創立80周年記念イベントが東京本院で開催された時のことだった。11月15日は「いい囲碁の日」にちなんでオープニング。記念事業の目玉として用意された約七千万円をかけて建設された囲碁殿堂資料館。午前10時30分からのセレモニーは第一回殿堂入りした徳川家康、本因坊算砂、本因坊道策、本因坊秀策ゆかりの方にレリーフ付き感謝状贈呈とテープカットがプログラムされていた。

 ところが、殿堂入り代表の徳川宗家十八代当主、徳川恒孝(つねなり)さまが定刻20分過ぎてもお見えにならない。急遽、本因坊発祥寂光寺(京都)住職大川定信氏が代行することで開幕。「囲碁の魅力を発信する中心的な役割を果たしたい」(今井敬総裁)「囲碁の普及や国際交流を進めてまいります」(加藤理事長)と、型通りのあいさつのあと今井総裁、加藤理事長、石田芳夫棋士会長、大川住職の四代表によってテープカット。日本棋院と碁界の永年の願望であった資料館がオープンした。

 控室で名刺を交換したさいのこと。加藤理事長は「タイトル戦より緊張しました」と額(ひたい)に手をやりながら無事セレモニーが終わったことに安堵の胸をなでおろした様子。よほど挨拶が苦手らしい。それにしても徳川さまはどうされたのだろうか。

資料館見学でご機嫌なお殿様

 休憩の後、殿堂コーナーと歴史展示コーナーがある地下1階に案内された。第1回殿堂入り四名(徳川家康、一世本因坊算砂、四世道策、跡目秀策)に関する貴重な興味あふれる資料の展示が目に入る。因島市外浦町の秀策記念館に常設されている母子愛用の碁盤をはじめ肖像画、掛軸などが依頼出展され、まばゆく目に映った。

 さらに、はっとしたのは顔の位置がひときは高く気品のある人物を見つけた。一目で徳川さん=写真左=と分かった。さっそく、ご挨拶を交わしたところでカメラマンから殿堂入りの四名の関係者の撮影が始まった。第29期名人張栩さんと新婚ほやほやの第16期女流名人小林泉美さんも加わっての記念撮影。徳川さんの屈託のない表情にセレモニー遅刻、欠席の理由などどうでもいい気になった。一期一会のむなしさを感じたのは、年が明けた元旦に故加藤理事長から年賀状が届いたことだった。

E

トラックバック

» 勝てないのかなぁ・・・ from Four Seasons
今日「囲碁NHK杯」の決勝戦だった。 「張 栩 名人・本因坊」対「依田 紀基 碁 全文 >>

トラックバック時刻: 2005年03月24日 23:02