幕末本因坊伝【20】日本棋院囲碁殿堂資料館(1)殿堂入り4人が決まるまで

掲載号 04年11月27日号

前の記事: “首のまわりほのかに軽く暖かし娘のプレゼントのネックレス付ければ
次の記事: “高校受験生への案内 進む教職員の意識変革 来年の創立80周年を前に 瀬戸田高校

庚午 一生

 閑話休題 11月15日、東京・市ヶ谷の日本棋院本院で催された棋院創立80周年記念式典に列席する機会を得ましたので、記念事業として建設された囲碁殿堂資料館のオープンの模様など何回かに分けてお伝えしたいと思います。したがって「秀策と尾道の医師土居咲吾」についてはしばらく休載しますのでご了承願いたい。

初代4人は江戸期に限定

 悲願であった「日本棋院・囲碁殿堂資料館」―貴重な囲碁文化の資料や記録、歴史を後世に残して未来につなげる拠点づくりがやっとできた。むしろ遅すぎたに失する感もあるーと、式典の祝辞で関西棋院理事長塩川正十郎氏が述べたほど待ち望んでいた施設の一つでもある。

 初年度の殿堂顕彰は江戸期の偉人たち四人。この偉人たちは知名度やフィーリングでなんとなく決まったわけでない。囲碁史に詳しい棋士3名(高木祥一、中山典之、福井正明)有識者3名(秋山賢司、谷岡一郎、水口藤雄)これに事務局(酒巻忠雄、浮田昌次郎)を加えた8人で選定方針を決め「並外れた技倆を示した者」「囲碁文化の発展に寄与した者」の両方か、どちらかに貢献した次の10人がノミネートされた。年代順にあげると

  1. 徳川 家康
  2. 本因坊算砂
  3. 中村 道碩
  4. 安井 算知
  5. 安井 算哲
  6. 本因坊道策
  7. 本因坊丈和
  8. 本因坊秀和
  9. 本因坊秀策
  10. 本因坊秀甫

 このうちから表彰委員会による投票が行われた。委員は日本棋院役員と棋士から5人(加藤正夫、大竹英雄、林海峯、工藤紀夫、杉内寿子)有識者七人(与謝野肇、斉藤十朗、今井敬、中野孝次、三好徹、白川正芳、菊池康郎)マスコミ代表新聞5社とNHKの合計18人。ノミネートされた10人から「5名連記」で投票。全体の4分の3以上、つまり14人以上の票を得た次の4人が殿堂入りとして選ばれた。

囲碁を「国技」に高めた天下人、徳川家康(1542―1616)

徳川家康

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下人三代に仕えた初代本因坊算砂(1559―1623)

本因坊算砂

段位制や御城碁制度を改革、棋力は十二段とも十四段ともいわれた碁聖・四世本因坊道策(1645―1702)

本因坊道策

前人未踏の御城碁連勝という偉業を達成、黒先必勝の秀策流「1、3、5、7」の布石を残し棋力人格ともに優れ、道策と並んで碁聖とよばれている十四世秀和跡目、本因坊秀策(1829―1862)

本因坊秀策

 次点は、秀策が入門当時の家元で官賜碁所十二世本因坊丈和だった。今回、選に漏れた先人も、今後殿堂入りする可能性もあり、因島市出身の秀策と昭和のアマ名人村上文祥の二人が殿堂入りする日も近い。ただし、次回は江戸期と明治期を中心に選出する方針。

 なお、次週は、今回殿堂入りした徳川家十八代当主、世が世なら徳川将軍という恒孝(つねなり)さま(日本郵船(株)顧問、財団法人徳川記念財団理事長)▽本因坊発祥本山寂光寺住職大川定信さま▽碁聖本因坊道策の子孫である山﨑尚志(たかし)さまのほか各家ゆかりの人たちをからめて先人の功績、エピソードなどを紹介してみたい。合掌。

E

トラックバック