謎その44 芸予諸島に残る巳午の行事は水軍と関係があるのでしょうか?

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芸予諸島と伊予の瀬戸内沿岸地区に巳午というこの地区独特の追善供養の風習があり、仏様の正月と呼ばれ、12月の最初の午の日に行われる一足早い正月となる。

その縁起に関しては諸説があるが、いずれも瀬戸内の水軍武者達が合戦で戦死した人々を供養したことに由来しているという説がこの地域に伝承されている。

水軍が戦った合戦と年号・干支との関係を調べてみると次の様になる。

1.源平合戦 文治元年(1185) 乙巳
2.承久の変 承久三年(1221) 辛巳
3.弘安の役 弘安四年(1281) 辛巳
4.南北朝の戦 興国三年(1342) 壬午
5.天授合戦 天授三年(1377) 丁巳

 

源平合戦や南北朝期の合戦は長期の戦いで年代を特定することは出来ないが、源平合戦では、「壇ノ浦の合戦(1185)」が代表的な合戦となるし、南北朝の合戦で代表的な合戦となるとさしずめ湊川の合戦(1336)(丙子)が妥当であろうし、瀬戸内水軍に限定すると世田山合戦(1342)になるのかも知れない。

これらの合戦のほとんどが奇しくも巳午の年に起こっていたから「巳午の供養」が生じたという説が信じられていたが実際に年表を調べてみるとどの合戦も巳午の年に起こっていない。

伯方島北浦地区の民話に巳午の起源についてのものがあるが、脇屋義助が伊予に下向した後にすぐ亡くなったのを弔うことから生じたという話になっている。

脇屋義助の亡くなった年は1342年で巳午ではない。今後、この芸予諸島独特の風習である巳午の縁起について調査して行きたい。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員

因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

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