謎その11「村上水軍(村上氏)の初代は誰?」
村上氏の初代は村上仲宗という説が有力ですが、他説もあり諸説粉々です。これを機に、村上氏の初代をここで検証してみましょう。
1)村上仲宗 説
清和源氏源頼義(八幡太郎義家の父)の弟頼清の養子になった仲宗が、村上天皇の皇子具平親王の孫少納言師清の娘をめとって村上姓を名乗り、清和源氏系村上氏の祖となったとされる。
2)村上頼清 説
信濃村上氏の菩提寺である村上山満泉寺に伝わる村上氏系図によると、「源頼清の妻修理姫は村上天皇の皇子為平親王の子右兵衛督憲定の娘で、幼名を五明丸と称した頼清はこの娘をめとって憲定の女婿となった。」とされている。
為平親王は父村上天皇から村上姓を賜っていたから、頼清は憲定の婿養子になることによって村上氏を名乗り村上源氏の祖となったということになる。頼清の子が仲宗である。
<満泉寺(村上氏居館跡)>
・関連リンク 坂城町公式ホームページ
3)村上為国 説 村上定国 説
この説では、信濃村上の祖とされている為国が、初めて村上姓を名乗り、村上党の祖とされている。
弟であり伊予村上の祖とされる定国も、村上水軍すなわち伊予水軍のとらえ方をすれば初代といってもいいだろう。
4)村上義弘 説
村上義弘の活躍によって村上水軍が、それまで河野氏の家来に過ぎなかった身分から脱却して独立し、主家をしのぐまでになったことからすれば、義弘が実質上の初代ともいえよう。
5)村上師清 説
義弘は最近では「まぼろしの海賊将軍」とまで言われ、実在を疑う人まで出ていることから考えると、三人の子供を三島に配置して体制を整えた師清が実質の初代にふさわしいともいえよう。
筆者紹介
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因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。
このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。
私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。
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