謎その41 村上義弘の遺児信清はその後どうなったか?

魚島から新居大島などに移り住み、村上氏を継いだ村上師清に育てられ、成人した信清は河野氏に仕えて水軍の将となった。

師清は今岡通任の娘を自分の養女にしてこの信清に嫁がせた。

その後、子孫は戦国の動乱期に6代・島吉利のように活躍する武将を輩出、その代より村上から島に名称を変えている。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

謎その41 村上義弘の遺児信清はその後どうなったか?”へ2件のコメント

  1. やしろ より:

    島と改姓した子孫はいまも居ると思います。分家に東、浅井があり多くが能島村上海賊衆でしたね。確か村上義弘の娘は因島海賊衆に嫁に行ったと思います。

  2. 菅 泰晴 より:

    今井先生、かなりご無沙汰しています。お元気ですか?私もまだ中世の歴史にこだわっています。今後もご指導をよろしくお願いいたします。

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