謎その39 村上義弘の遺児は居たのか?

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遺児として信清があり、母は大野八郎左衛門の娘で、幼少のために村上氏を継がず、魚島から新居大島などに移りすんだ。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員

因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

謎その39 村上義弘の遺児は居たのか?” に対して1件のコメントがあります。

  1. ?舟 より:

    系図等によると信清は居たことになっていますね。御承知の通り
    島家を継ぎ文化4年2月の島家の記録によると、その時の子孫は
    島信弘と島永胤の名が見えます。
    私は母の親、大野八郎左衛門を捜しています。伊予大野一族の
    一人なのでしょうが、イミナが分りません。伊予で南北に分かれて
    ドンパチしている時は大野家も南北に分かれていますし、河野家も同様です。南北朝時代は長いので、南北で宗旨替えすることもあり
    とても複雑です。

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