謎その37 村上義弘の墓はどこにある?

講演会で「因島に義弘公の墓はあるのか?」「金蓮寺の裏の水軍墓は義弘公の墓か?」という質問を受けて、「因島には義弘公の墓はない」と答えると以外な感じに受け取られたようであった。
義弘公の遺骸は本拠であった伊予大島の高龍寺亀老山山上に海の鎮守として丁重に葬られたという。それを裏付けるかのように現在も山上に義弘の墓と伝えられる宝篋印塔がある。


この宝篋印塔を義弘の墓とすることに関して、鵜久森経峯氏はそれを疑問視する説を述べている。
一、塔身の寸法は台座及び天蓋の寸法と符合せず、別の宝篋印塔の塔身を持ってきて、これに充当したものである。
二、天蓋の四隅に突起せる隅飾突起の手法は直角をなさずして外方にそれているが、その形式は村上義弘が亡くなったとされる南朝時代から室町時代初期のものではない。
三、台座の左側に「逆修集證結衆敬白」という七字の刻銘「逆修」とは、その人の生存中にこの宝篋印塔を建立供養したことを表示し、「結衆」とは結縁のためにこの石塔の建立に浄財を喜捨した人々のことである。右側の刻銘は、わざわざ打ち欠いてわからなくしてある。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

One thought on “謎その37 村上義弘の墓はどこにある?

  1. ハニワ タロウ より:

    通りすがりの者ですが、失礼します。小生は鵜久森熊太郎(経峯)氏に関心を持っております。氏の業績は一部を除いて、分からないことが多いのが実情です。本文中に鵜久森経峯の説に関する記述があるのですが、引用元と当該引用文献の蔵書先をご教示いただけないでしょうか? 誠に非礼ではございますが、お許しください。宜しくお願い申し上げます。

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