謎その36 村上義弘の没年は?

能島村上の家系図には暦応元年(1340)9月3日と記されており、因島中庄の金蓮寺にある位牌には観応元年(1350)9月3日となっている。
「予章記」の「今岡陽向軒陣中記」には正平24年11月16日の高外木城の攻防で終わっており、いつどこで没したのか不明であり、正平25年から天授2年の間に死去したものと推測される。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

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