謎その35 大塔宮の令旨の名宛人である治部法橋は村上義弘でなかったらだれなのか?

治部法橋は因島中庄開発領主である上原前監入道祐信ではないか推論する論者がいて、その根拠を次のように述べている。
一、「萩藩講録」の因島村上家譜に因島村上家初代備中入道顕長(吉豊)が、因島中務大夫其入道前監家を継いだという記録がある。
二、周防大島の東家所蔵文書「三島伝記」に「二男亦三郎後内蔵頭顕長、室は村上三郎左衛門義弘娘お竹と申し候、備後国因島に在城する因島の主、上原前監入道祐信病死し跡無く、故に顕長を直し給い」という記事が見られる。
三、貞和5年(1349)の「東寺百合文書」に「カノ原ノ大夫房」という文字が弓削島入部算用状に記載されていて、これを裏付けてというのは、幕府が東寺から再三の訴えで、貞和5年2月に代官を弓削島に派遣した時、道中の海上警固を命じたときの報酬で、その警固衆の中にカノ原ノ大夫房という名が記され、これが上原を指すという。


以上示された治部法橋は上原前監人道祐信であるという論拠を読んでみると、いずれも直接に結びつく記述ではないために、どうも説得力に欠ける。
一、二項に述べてある事項は、「因島村上家初代顕長が上原家を継いだ」と記述しているだけに過ぎず、治部法橋に関係つけてしまうには無理がある。
三項に述べられている事項は、警固衆に名前が記されていただけのことで、論拠とするには難がある。
治部法橋は義弘ではないのは他の説を総合して考察してみると納得がいくものの、上原祐信に結びつけて通説とするのには無理があり、早計であると云わざるをえない。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

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