謎その2「因島村上水軍とは?」
平安時代末期の頃から瀬戸内海での物資の流通が盛んになり、それに従事していた小単位の武士集団が、武家社会の発達に伴って、水軍部隊として合併吸収しながら大集団を形成していきました。この中にあって因島本主治部法橋幸賀館は大塔宮護良親王の令旨の下に六波羅探題に攻め入り戦功を挙げました。
海賊大将軍と呼ばれた村上義弘が亡くなった時、その後継として信濃村上氏第8代の村上師清が瀬戸内に下向しました。師清はその3人の子供達を「能島」「来島」「因島」に分家させて三島村上水軍の体制を築き、因島には三男吉豊を配置し、土生長崎城を本城にさせました。その後、備後の守護である山名氏を支援して勢力を伸ばし、明国や朝鮮と交易する船の警護にあたりました。
戦国時代に因島村上第六代の吉充は厳島の合戦で毛利方を勝利に導き、その恩賞として向島一円を領地として与えられ、立花の余崎に本城を移しました。しばらくして、重井の青木城に再び本拠を移して、三原城の前衛となっています。関ケ原の合戦で主君である毛利氏が西軍について敗れたために周防大島に転封させられ、長州御船手組として毛利氏に仕えました。
筆者紹介

- 歯科医師、尾道市文化財保護委員
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因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。
このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。
私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。
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