謎その20 壇の浦の合戦で源氏の勝因は?

1.流説
従来から潮流が戦いの趨勢を決定づけて来たと云われて来たが、当日の潮の流れはそれ程速くなく、勝敗を決める大きな要因ではなかったという説が一般的になっている。


2.源氏が平氏方の船の水主・梶取を狙い討ちにした奇襲戦法説
水主を射て、平氏方の船の機動力を失わせ、船団を制御不能にして攻撃するというセオリーを無視した戦法を源氏が取ったことが勝利に結びついた。幾多の合戦でも既成概念に捉われない戦法を採用したほうが勝利を得ている。
3.平氏方の身内の裏切り
阿波の田口成良を初めとして戦況が不利になるにつけて、平氏の身内から裏切る者が次々と出て平氏は総崩れとなった。
4. 源氏方の士気の高さ、徹底した戦闘準備、両軍の編成の違い
源氏方は士気が高く、源義経と梶原景時の先陣争いに見られるように勝利へのこだわりが強かった。一の谷・屋島の合戦で平氏に海上へ逃げられ勝機を逸してきた苦い経験から、源氏方は徹底した海上戦への準備(兵船の徴収、水主梶取の動員)を怠らなかった。平氏方は安徳帝・女官・貴族といった戦闘要員にならない集団が含まれていたのに比べ、源氏方は屈強の武士団で編成されていたことによる。
5. 源氏方への支援と平氏方から離反
勢いに乗った源氏方には周防在庁五郎正利よりの兵船の献上があり、熊野別当湛増が味方に加わった。それに引き替え平氏方の有力水軍であった山鹿・松浦・原田氏らが平氏から離脱していった。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

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