謎その15「村上水軍は河野氏の家来だったのか?」

定国が伊予村上水軍の祖となりましたが、定国が伊予大島に定着するようになったのは、祖父仲宗と河野親経が協力関係にあったことによります。
そういった経緯から、その嫡子讃岐守清長が河野通清の家来となりました。
清長は来島海峡を臨む亀老山の山頂に隈ケ嶽城を築き、水軍としての地盤を構築していきました。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

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