謎その14「仁平事件とは?」
仁平3年(1153年)に起こった比叡山延暦寺と奈良興福寺との勢力争いから生じた事件です。
白河上皇呪咀事件で流罪に処せられた村上氏の宗清や為国なども勢力を回復して、院政の中で北面の武士として重要な地位を占めるようになってきましたが、この事件で宗清はその罪を問われて淡路島に配流され、その途中で暗殺されました。
弟為国も、兄の罪のために北面の武士としての地位を剥脱されました。
三男定国は、はじめ伊勢に配流されましたが、そこから海路で伊予大島の荘に移り住みました。
筆者紹介
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因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。
このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。
私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。
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