謎その13「村上氏はもともと貴族か武士か?」
北面の武士でした。寛治年間(1089年)には右大臣源顕房の妹を妻に迎え、白河院の蔵人の地位にあり、昇殿まで許されていたが、白河上皇呪咀事件で配流され、武威が衰えてしまいました。
筆者紹介
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因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。
このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。
私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。
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