学生が見た平成の大合併を検証 卒業論文・市町村合併 広島県豊田郡瀬戸田町を事例に【10】

掲載号 06年07月08日号

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(2)瀬戸田町の「合併問題」

(a)民意の「ねじれ」現象

 瀬戸田町の合併にとって大きなターニングポイントとなったのが、住民発議による住民投票の実施である。三原市と合併しようとする柴田町長に対し、合併を考える会が因島市との合併を求めて住民から署名を集めたのが始まりであった。しかし、有権者数の50分の1以上の署名を集めた最初の請求は、議会に否決されてしまう。

 そこで、合併を考える会は再度有権者数の6分の1以上の署名を集め、住民投票を実施し、それが過半数を超えたことで、因島市と瀬戸田町の合併協議会の設置にこぎつけた。ここまでは、一旦は否決されたものの、再請求によって住民の意見が反映されるという構図が成り立っており、「合併に民意を反映させ、市町村合併をスムーズに進める」という、政府がこの制度を導入した目的どおりの結果が得られているといえよう。しかしながら、その後の展開は政府のイメージとは全く違うものとなっていった。

 住民投票の結果によって、因島市と瀬戸田町の合併協議会が設置されたが、その協議会の委員のほとんどは町議会議員や市議会議員だった。合併を考える会の代表・前田氏も委員のうちの1人であったが、柴田町長をはじめとする他の多くの議員たちによって合併協議は進まず、最終的には瀬戸田町が協議会から離脱するという結果に終わってしまった。

 住民発議制度というのは、民意を反映させるために導入された制度であるはずなのに、なぜか民意が反映されないという状況が生まれてしまったのである。「住民発議制度では、合併協議会を設置させることはできるが、合併をさせることはできない」、これがこの制度の大きな落とし穴である。いくら住民が運動を行って住民投票を実現したとしても、それが全くの徒労に終わってしまう可能性が、この制度には秘められているのである。

 柴田町長が住民から

「因島市との合併協議会を離脱するというのは民意の反映になっていないのではないか」

との質問を受けたとき、柴田町長は

 「住民投票の民意は合併協議会の設置という形で反映されている。それ以降の協議内容についてまでは住民投票の民意ではない。また、選挙によって選ばれた議員が合併協議会の委員として協議に参加した上で離脱を決めたのであるから、これは議会制民主主義に基づいた民意の反映といえる」

と説明した。この理論は当然、多くの住民からの猛反発を受けた。

 議会制民主主義がいかに民意の代弁とはいえ、議会の意見が住民投票の意見と逆になってしまう状態というのは、民意の反映であるはずがない。しかし、いかに「どちらの民意が重要か」という問いかけをしてみても、この住民発議制度においては、既述の柴田町長の説明にあるような「言い訳」がまかり通ってしまう。合併をスムーズに進めるために作られたはずの住民発議制度が、実際の合併現場、瀬戸田町においてこういったねじれ現象を引き起こしてしまったことは、まぎれもない事実である。

 では、なぜこのような現象が起きてしまったのだろうか。なぜ、柴田町長や多くの議員は、住民投票による民意に反する「三原市との合併」に固執したのだろうか。それを調査していくうち、「区長会」という組織の存在が浮かんできた。

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