ブラジルに生きて50年【4】重井町出身実業家 村上佳和さん(65)ことじさん(62)

掲載号 06年07月08日号

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 ふたりが結婚したのは夫25歳、妻22歳の時だった。ことじさんの母親と佳和さんの叔母が三原女子師範の同級生ということもあって結婚話はトントン拍子。

 ふたりの気持ちを育んだのは1年半におよんだ文通だった。当時は、エアーメール10日から15日間、往復で1カ月かかる時代であったが、互いに写真で顔を思い浮かべながら気持ちを手紙に託した。「この広い空の下に苦労をともにしてくれる君という人がいるんだね」と佳和さん。

 子供時代から、死ぬほどの恋愛をして結婚することにあこがれていたことじさん。映画の画面から飛び出してくるようなプロポーズの言葉に気持ちは固まっていった。

 当時、単身女性のブラジルへの移住は不可。ことじさんは花婿不在のまま、花嫁衣裳をつけて結婚式を行い、入籍を急いだ。ふたりの初めて対面はリオデジャネイロ港の船上だった。

 最初に交わした言葉は、「初めまして夫の佳和です」「初めまして妻のことじです」。ふたり揃っての結婚式は、その年のクリスマスイブに行なわれた。カソリックの強い異国の地、サンパウロ市にある西本願寺での仏前結婚式であった。新居はサンパウロにあるレンガ建ての、日本流に言えば6帖2間、トイレ付の借家に決めた。

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ブラジルの村上さんファミリー

(続く)

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