学生が見た平成の大合併を検証 卒業論文・市町村合併 広島県豊田郡瀬戸田町を事例に【9】

掲載号 06年07月01日号

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 合併を考える会が署名を集め始めてからわずか半月で署名の数は有権者数の3分の1を超え、さらに拡大の勢いを見せていたが、平成16年9月9日、柴田町長は自ら辞表を提出した。と同時に、次期町長選への出馬を表明した。この出馬の際に柴田町長が掲げた合併の方針は、なんと尾道市との合併であった。

 今まで三原市にこだわり続け、尾道市には見向きもしなかった柴田町長の突然の方向転換に、平成15年の町長選挙で柴田町長に惜敗した新人の田頭氏が、再度立候補することになった。田頭氏は従来からの考えを変えず、やはり尾道広域の合併を主張。両候補とも同じ尾道市を合併先として戦う、争点の見えにくい選挙戦となった。合併を考える会も田頭氏の応援にあたり、平成16年10月24日の選挙で田頭氏が当選した。

 瀬戸田町は、田頭新町長のもとで尾道市への編入合併に向けて新たにスタートを切った。平成16年11月29日には、3月に協議が中断されて以降放置されたままになっていた、因島市と瀬戸田町の合併協議会が解散された。同日、因島市は、尾道市・因島市合併法定協議会を設置した。町長選挙などの影響で因島から少し遅れた瀬戸田町も、12月17日には尾道市・瀬戸田町合併法定協議会を設置するに至った。「市町村の合併の特例に関する法律」の申請期限が終了するわずか3ヶ月前の協議会設置というかなり差し迫った状態での協議開始であったが、それでも平成17年3月5日には因島・瀬戸田町そろって尾道市との合併協定の調印式を迎えることができた。

 尾道市との合併を期限ぎりぎりで申請することのできた瀬戸田町であったが、町議会内部ではさまざまな問題が起こっていた。10月の町長選挙により田頭氏が新町長となったが、町議会の議員は以前と同じ、つまりもともと三原市との合併を望んでいた「柴田派」とも言うべき議員が多かったのである。そのため、合併の申請後も議員が合併協議を混乱させ、その責任を町長に取らせようという動きが強まった。そのような流れの中、田頭町長は合併協議を進めようとしていたが、平成17年4月に体調を崩して入院、さらに6月13日には辞職することになったのである。

 平成18年1月10日の合併まで残り7ヶ月という局面で、瀬戸田町は再度町長選を行うことになった。しかし、住民たちは度重なる選挙に疲れきっており、対立の構図のない選挙を求めていた。立候補者が出ない中、町議会は基本方針を3つ定め、町長となる人物の絞込みにあたった。その基本となる考え方の1つ目は絶対に選挙にしてはならない、つまり立候補者は1名にするということ、2つ目は町民誰もが認める人を選ぶということ、そして3つ目が行政経験のある人物にすること、であった。そうした議会の動きもあり、立候補者を1人立てた結果、7月17日の選挙で高本訓司氏が当選し、瀬戸田町にとって最後の町長となった。

 高本新町長のもとで、瀬戸田町は尾道市との合併に向けての最終段階へと向かうことになった。財政難に苦しむ地方自治体にとって、合併の経済的なメリットは、合併特例債だけではなく行政組織の再編もその大部分を担っている。2つ以上の市や町がひとつになることは、その行政がひとつになることを意味する。つまり、市役所や町役場もひとつにまとめられるということだ。合併によって役所を統合し、職員を削減することによって人件費を削減し、財政難を乗り切ろうということである。しかし、瀬戸田町の町役場や因島市役所を完全になくしてしまっては、住民にとっての窓口がなくなってしまう。そのため、役場や市役所は尾道市役所の支所として残し、一方でその規模を縮小し人員を削減するというのが一般的な方法である。

 平成17年11月8日、因島市役所は、尾道市への編入合併にともなう因島総合支所と因島区域に設置される課・係体制について、9課25係233人になると発表した。合併までは21課2室49係283人である。

 瀬戸田町は9日、瀬戸田支所体制が3課9係58人になることを発表した。合併までは14課1室30係84人体制である。これはあくまでも新尾道市の開始時に向けた数字であり、合併後も段階的に縮小を続け、現行の3分の1程度の規模にすることを最終的な目標としている。

 そして平成18年1月10日、瀬戸田町および因島市は、正式に尾道市に編入合併され、新しいスタートを切ったのである。面積は284.85平方キロメートル、人口は15万5200人となった。

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