海賊・自由と仲間と家族と【13】

掲載号 05年05月07日号

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六、海賊 自由な民

 これだけの厳しい規則、しっかりした組織、その上日本の動脈 瀬戸内海をよく知っている。この海賊を部下にした大名は怖いもんなし!……って甘い!海賊は客分となっても、家来にはならないのだ。陸の武士は、主君と家来の関係を大切にする。忠義を尽くせば、主君に領地を守ってもらえるからだ。いわゆる、鎌倉時代の「御恩と奉公」「一所懸命」の精神である。

 しかし!海賊の暮らしの場は陸の土地ではなく、海である。そのため、主君との関係は薄い。家来になるわけではないので、忠義を尽くすこともない。誰に仕えることもない、自由な民なのである。

 そして、海賊は客分としてついた主君が不利になるのを見れば、簡単に敵側に寝返ってしまう。土地がない彼らにとって、守るべきものはただ一つ、命である。それは自分の命だったり、大切な仲間の命だったり、また誰よりも、愛する家族の命だったり……。大切なものを守るため、彼らは生き抜かねばならない。生きるためなら、忠義も土地も名声も、いらない。ではこれから、自由の民 海賊が、歴史をどのように動かしたか、見てみよう。

海賊たちが彩る歴史 木津川河口の合戦の裏側へ
第一次木津川河口の合戦 信長が恐れた者たち

 木津川河口の合戦。織田軍と毛利軍の海における戦である。石山本願寺を倒そうとする織田軍。それに抵抗する石山本願寺。毛利軍は石山本願寺を支持し、兵糧を運び込もうとする。兵糧を運ぶ毛利軍の警固についたのが、能島村上・因島村上の海賊たちである。

 毛利軍は大船団を組み、石山本願寺に続く木津川河口へ……。と、その時!毛利軍の行く手に、織田水軍が立ちはだかる!!しかし、織田水軍は、安宅船5艘と200艘あまりの軍船を持っていたにもかかわらず、寄せ集めの軍でしかなかった。

 村上水軍は、船足の速い小早を駆使し、海賊の得意武器 投げ焙烙などの火器を使い、瀬戸内で鍛え上げた腕を存分に用い、何よりも、抜群の団結力によって、大勝利を収めた!村上水軍が警固してくれていたからこそ、毛利は石山本願寺に兵糧を運ぶことができたのだ。村上水軍の戦力と織田水軍の戦力には、あまりにも差がありすぎた。

 信長は、自軍の見事な負け振りにさぞや驚いたことだろう。しかし、信長はここであきらめるような男ではなかった。村上水軍とまともに戦っても勝ち目はない、かくなる上は……。


写真説明=1576年(天正4)第一次木津川口の戦い。毛利水軍とともに三島村上水軍が織田信長勢を破る。

亀井静香と菅原文太の時局講演と懇談会

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