ヒカルの碁と源氏物語 そこに囲碁がある理由

掲載号 05年05月01日号

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 前号に続き、因島石切宮創始者桑原八千夫先生の大叔父(おおおじ=祖父の弟)にあたる碁聖・本因坊秀策が囲碁殿堂資料館(東京・日本棋院)に殿堂入りしたのを記念して囲碁文化史についてふれてみたい。

 お話は平安時代にさかのぼる。源氏物語の著者、紫式部は登場人物が囲碁を打ち、碁の用語を取り入れたやりとりをする場面を表現している。勝負事というのは、つい熱中して本性を現すものである。そこが作者の狙いでもあったと思われる。源氏物語宇治十帖を締めくくる浮舟の君に関する箇所がある。男性が物陰に隠れて二人の様子を見ているのを知らぬ浮舟と空蝉(うつせみ)が碁盤に向かった。目の色を変えて勝ち負けに興ずる娘を相手役にして、囲碁を通しての内面の美と女盛りを過ぎた女の心のうちまでを語りつくした作者の筆は、女の本性を光源氏の目を通して読み手に伝えている。

 若く美しい容姿を持つ浮舟とは対照的に老けて盛りを過ぎたとはいえ、碁石をそっと盤上に置いては、その指先をそっと袖口に戻すような上品な振る舞いで源氏の心をひきつける。いわば優美な対局姿に源氏が若い浮舟よりも人生経験の豊かな老いゆく女心に彼女の価値を見出させている。

 囲碁の強い女に対して抱く読者のイメージが、それぞれあるが、頭のいい女と思う人もあれば、気が強くて負けず嫌いな女と思う人もいる。作者の紫式部自身の囲碁の技量や囲碁を打つ女にどのようなイメージを抱いていたのかわからない。だが、浮舟というヒロイン像の美しいだけで教養もなく、身分高い男たちとの三角関係に巻き込まれ身の上を恥じて入水自殺未遂に終わって尼寺へ。そこで、田舎育ちで和歌の知識もなく。琴を弾くこともできぬ彼女を唯一の特技として囲碁の強い女にした。教養の低い女を囲碁の名手にしてヒロインの特徴を与えて読者へのメッセージとしているが、なぜ、そこに囲碁があるのか、その理由については、それぞれの人がヒロイン像を組み立てればいいことなのだろう。

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