海賊・自由と仲間と家族と【3】

掲載号 05年02月26日号

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ことばの輝き最優秀賞作品 因島高校三年 村上君佳

二、海上輸送の重要性

 瀬戸内海は古くからの重要な航路であった。瀬戸内海抜きでは、日本の海運や船の歴史だけでなく、繁栄の歴史も語れない。瀬戸内海は、

  • 遣隋使・遣唐使を送る
  • シルクロードの最終地となる
  • 大宰府をはじめ瀬戸内海沿岸諸国の租庸調を輸送するため
などに用いられ、日本の文化や経済の発展に欠かせない存在となった。

 租庸調を運搬するために、陸路を用いる、という方法もあったが、陸上運送と海上運送では、効率の良さがまったく異なる。では、どのように異なるのか見てみることにしよう。

運搬方法運搬総量
人間50kg背負ったら大変!
江戸時代の馬でも、米4斗俵振り分けにして2俵積んだだけで、やっと120kg。室町時代の”馬借”は3俵積んで、180kgはいけるらしい。
平安・鎌倉時代の輸送船でも、漕ぎ手1人で約1tから2tの荷物は運べる。10t積みの船で乗組は約8人、30t積みで、約14人で運航できる。

 ……とまあ、一目瞭然、多くの物を運ぶには、海上運送が最も効率が良いのだ。
 この瀬戸内海における海上交通に目を付けたのが、海の民=海賊である。日本の動脈を生活の場とする彼らは、一体どのような人々で、日本の歴史にどのような影響を及ぼしたのか。そして今の私たちに残したものとは……。海賊の真実の姿に迫ってみよう。

二、海賊の起源

海賊の生活

 陸の武士が守るものは?「一所懸命」「御恩と奉公」すなわち、自分の土地を命懸けで守り、主君への忠義に対する褒美として土地を得る。陸の武士が守るものは、そう、土地である。

 では、海の民が守るものは?やっぱり土地?海のどこに土地なんてあるのか。あってせいぜい島。島があっても、農作業ができそうな平地なんかほとんどありはしない。因島では塩田が営まれていたが、あまりにも良い塩がとれるため、後白河法皇や北条氏など、時の権力者の荘園にされてしまったり、地頭としてやってきた北条氏に、塩を奪われてしまった。それじゃ海なんだから、漁業をして新鮮なお魚を売れば……って、天候にすべてがかかっている漁業は、それほど安定した産業ではない。海の人々は貧しかったのだ。

 しかし、生きなければならない。貧しい暮らしの中で、どうやって生きようか……。
「あ~、海で生きるのも楽じゃないよな~。あれ、あの港に泊ってる船、沢山荷物積んでるな」
「ああ、あれね。大宰府から都まで、租庸調を運ぶんだって。……。おおっ!これだっ!」。
その夜。港に怪しい影が……。

(続く)

画像説明 鎌倉時代の船(法然上人絵図)

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