虎次郎は行く 出版記念会来賓トーク【1】 世話人を代表して 土生商船会長 弓場敏男

掲載号 04年02月21日号

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  「虎次郎は行く」全三巻の上梓の記念会と祝賀会を開催しましたところ、このように多勢おいでくださいまして本当に有難うございました。世話人の岡野巧三さん、村上栄昭さんと私弓場敏男の三人がなにもしない世話人ですが、代表して弓場がご挨拶申し上げます。

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 ご来賓の衆議院議員亀井静香様、参議院議員お兄さんの亀井郁夫様、参議院議員三次の柏村武昭様、同志社女子大元学長の岡野久二様、比治山短大教授の吉田正浪様、経済評論家で因島ではなじみの泉和幸さま他百数十名のおいでの皆様、来賓の皆様と遜色ない方々ばかりのお方ですが、お手元の名簿表をもちましておゆるし願います。

 庚午一生こと村上幹郎・通称幹ちゃん。本祝賀会ご出席の皆様はとくとご存知の方々ばかりですが、幹ちゃんの「飲む・打つ・買う」の三拍子が大変不得手な人です。もし庚午一生がこの三拍子がとくいだったら「虎次郎は何処へ行くやら」と心配もいたしました。

 十四世本因坊跡目秀策の生家「碁聖閣」で遺品を展示して守っておられる「石切風切神宮」の桑原利恵宮司さんは秀策が生れた証として実証されています。

 「虎次郎は行く」は本因坊秀策への色つけであり飾りをつけて両両相まってのことだと私は信じています

 やーやー皆の衆・・・お集まりですかと、今ここに秀策さんが入ってこられたら・・・皆さん秀策さんは何歳だと思いますか。秀策さんは文政12二年5月5日生れ、1829年ですから今年で175歳になっておられます。

 村上幹郎さんは同志社大学卒業後サンケイ新聞に入社し、作家の司馬遼太郎さんと机を並べていました。

 今にして幹ちゃんとくらべる術も有りませんが、これから「虎次郎はいく」が第四巻、五巻へと続くことを念じまして私の挨拶といたします。有難うございました

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