人の心が出逢う場所 「今井亭」

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今井和美さん

人の心と心を出逢わせたら、この人の右に出るものはいない!

因島で人と人の出逢いを求め続け、その場を創り生み出す今井和美さん(61歳)。どうしてこの人の周りには、素敵な人が集まるの?どうしてこの人の周りに集まりたくなるの?そんな片想いから、いやがる今井さんに頼み込んでお話を聞かせてもらいました。今井和美さんの素顔、本邦初公開!!

まずは今につながる活動を教えてください。

出逢えた人や、自然からも本からも失敗した事からも・・・ここまでのすべてが関わりあい繋がって今があるとしか言えない気がするんだけどね。

わたしは産まれも育ちも因島。発会したばかりの子供会は全員参加で、学校以外でも集団で遊び、なんかかんかしていた子供時代。そのままそこでジュニアリーダーになった。

社会人になっても市子連(因島市子供会育成連合会)のシニアリーダーとして、リーダー養成講座やキャンプ、クリスマス会などの企画運営、単位の子供会のお手伝いもしていたよ。

とても思い出に残っているのが、「サークル波(なみ)」と命名されたジュニアリーダー・シニアリーダーの集まりができたこと。子供会の援助や企画以外にも毎週我が家に集まって、わいわい歌い語っていたの。「サークル波」という名前には、島のグループっていう事もあるけれど、海の波は何度も何度も押し寄せては引き、押し寄せては引き、長い年月をかけて岩の形も変えて行く…、水面に小石を投げ入れたら波紋が静かに拡がって行く…、人生にも波があって当たり前、落ち込んでもいいじゃない!、そんな願いや思いを込めたんだね。

仕事でも、造船所の庶務課だったので、社内・社外と様々な方にお会いできたし、色々な場面にも立ち会えたよ。それから結婚。島を離れたけれど、また家族で帰ってきたわけ。

3人娘の母親となり、自営の仕事も落ち着いた頃、「因島親子劇場」の立ち上げに参加。ここでも色々学んだよ。900名近い会員の意思決定や情報を共有するという事。運営委員長であれ、違った意見の決定事項でも総意として実行して行くべきこと。演劇、コンサートなどの企画や準備。子ども市、研修や講演会、地域ごとの集まり、自主活動もいろいろ。子どもたちが育つ環境も、仲間と考え合ってた。頭でっかちになってた気もするし、反省する事も多いけど、そこで出会った人たちとのその後の交流や、それぞれが自分の世界を築く時に手伝い合える関係が続いている事はありがたいし、すごいなと思ってるの。映画会を続ける人や、富良野塾の公演を何年も呼んだ人もいるよ。

独身時代に関わっていたキャンプやレクリェーション(生きる喜び創り)活動も再開。かつてスッタフとして関わった親子キャンプに子どもたちと一緒に参加し始め、レク研修では子どもの様に若いメンバーの中に飛び込んだりね。そのころから、「今井のはは」とか「はは」と呼ばれるようになり、若い友人との交流も深まり、相手の意欲やる気を大切にする視点が持てたかなと。自然体験塾、町おこしなど様々な分野で輝いてる人たちとの出逢いやつながりもたくさんいただいた。

そのころから、これやると楽しいだろうなとか、感動すると、島の人にも紹介したいなと、やってみたくなって(笑)。コンサートや、わくわく科学教室、きみ子方式の美術教室、講演会、交流会などなど・・・。これやりませんか!と売り込むことも。いつのまにか企画依頼もいただくようになり、参加者やゲストからもまたやってと声がかかったりと。生涯学習フェスティバルや手をつなぐ親の会のコンサート、南アフリカの子供たちを迎えての交流とコンサート、ジョン万次郎記念国際交流の事務局長も英語もできないのにやりましたよ。出逢った人やことが次々と連鎖していくというか繋がっていくんだね。

外浦町のご自宅でのホームコンサートも多数開催されていますね。

コンサートはピアノ、フォーク、アフリカ太鼓が多かったなあ。他には、お芝居やパントマイムも、ゲストを囲むお話を聞く会や学びの会、映画会など・・無節操にいろいろと。自宅での小さな集いは100回を超すかなあ。

どうしてそういった会をご自分で主催しようといつも思うのですか?

本を読むのも好きだし、旅も好きだし、交流も好きだし、そんな出逢いの中で、アンテナが「ピッ!」とくる『もの』や『とき』がある。求めていたものはこれだ!とか、あるいはジワジワと染み込んでくるとか。そうなったら、もっと深くなりたい、もっともっとつながりたくなる。友人知人、島の人達にも紹介したいし、繋がってほしいと思ってしまう。

講演会を聞きに行って、握手をさせていただきつつ、「因島から来ました、今井と申します。島にもいらしてください!」ってお願いしたことも結構あるよ。抑えきれない気持ちを手紙にしたこともある。能登まで車を走らせ、会いに行った人もいる。

人や作品を呼ぶことは、強い風を受けたもの、自分が求めるものを確認するって感じもある。新しい出逢いが人と人をつなげる、自然ともつながる。心が動く。自分が突き動かされた出逢いを、人にも伝えたい。そしてその人の笑顔や輝きを見て、また感動する。そんなところかな。

これまで大きく影響を受けた人はいますか?

沢山たくさんいるんだろうね。でも、やはり両親は抜けない。

父は家族の中で寂しい思いや苦労をしたみたいで私たちをとても大切にしてくれた。父からは守ってもらってるという安心感を。「親が願った通りには子は育たない。親がやった通りに育つ。」の言葉どうりの後姿だった。地域や社会に目を向けれる余裕ができた時に、和美は育ったんだよと。きちんと向き合ってもくれた。

母も愛情たっぷりだった。だから、ずぼらで欠点だらけのわたしでも、自分の存在への肯定感はゆるぎなかった。感謝してる。言葉使いもマナーもがさつだった母は、亡くなってから、こんなに慕われていたんだと実感させられている。あのあたたかさ、受け継ぎたい!

それから、MGユース森岡まさ子さん。上下町(広島県府中市)でユースホステルを経営していた。彼女に迎えられた人は自分たちのことを「MGっ子」って言い、森岡さんのことを「ママ」と呼んでた。

50歳近くになってユースを始められたんだけど、観光名所もない交通の便も悪い所なのに、西にMGありと言われ、寝床が足りず廊下や風呂のふたで寝た人もあるって。

98歳で他界されるまで、「若者のためになるか、地域のためになるか、そして自分のためになるか」いつも言っていた人で、講演にも全国各地に、ヨーロッパを始め世界中を回られた。

パパ(ご主人)の遺志を継いだ平和の語り部としてもすごいんだけど、お訪ねすると「よう帰ってきた、よう帰ってきた!おかえり!」、離れるときは「元気での!はよう帰ってこいよ!」と、涙を浮かべていつまでもいつまでも手をふってくれていたっけ。こんな風に心から人を迎え入れ、元気を分けられるって、とてもかなわないよ。

森岡まさ子さん

ここ2・3年、石川県の水野スウさんとケニアの早川千晶さんからも色んな「風」をいただいてる。

水野スウさんは、初めてお会いした時に、例のわたしのアンテナがすごく反応したんだよね。その時の受信装置が求めていた周波数だったのかな。

毎週水曜日の午後に自宅を開放されて、だれでも訪れることのできる「紅茶の時間」を30年近く続けられてる方だよ。

共通するものも少し感じたんだけど、著書も読み、通信やお手紙に、その感性・姿勢・センス・視点・・・などなどまったく歯が立たないくらい素敵な人。たたずまいも素敵で、講演もワークショップもスーとしかもふんわりと入ってくるんよ。もう、あこがれの人!

水野スウさん

水野スウさん

早川千晶さんはケニアの首都ナイロビ最大のスラムで、ストリートチルドレンの為の学校を運営。日本各地で講演・交流会をされてる。アフリカを知るツアーや映画も制作されているよ。スウさんと同じころ出逢ったんだけど、これは又、すごい「強風」だった。でも、さわやか。

早川千晶さん

早川千晶さん

今秋はマサイの戦士ジャクソンと第2夫人の永松真紀さんがご一緒で、ずいぶん考えさせられた。幸せや豊かさについて、私自身も、「ここには何もないけど、すべてがある」から「あった」へとジャクソンさん達のサバンナや村を追い詰めてるのだと知った。

永松真紀さんとジャクソンさん

ジャクソンさんと永松真紀さんご夫妻

お二人の印象は違うんだけど、スウさんからも千晶さんからも、静かな怒りと確かな愛情を感じ、「ほんもの」と思ってしまう。

比べると私は似非だね。これまで何かやるとき、旗揚げ役で、この指とまれ的な形になってしまうんだけど、変わりたいなあ~。うまく言えないけど、人と人が集ううちに自然に流れができていくような、それぞれが主役のような・・。無理かなあ~。

今井さんご自身のことについて少し教えてください。

わたしは女ばかり4人姉妹の末っ子でここ尾道市因島外浦町で育ちました。血液型はO型。うちは父も母もO型だったから、家族の全員がO型で、そういう意味では家族の結束が強かったの。

「Yes」か「No」かがはっきりしていて、昔からいつも幡(はた)を上げるのはわたしだった。そして尻拭いは姉(笑)。若い頃は一人旅が好きで、カナダで一人キャンプをしたこともある。

わたしは、カッコ良く死にたいの。お別れのあいさつができて、自分に納得してね。できるかなあ~。

今井姉妹

お姉さんと一緒に

今井さんの自宅での会は、本当に多種多様、多岐にわたっている。

コンサートから講演会、お芝居まで。一番に言えることは、出演者と観客との距離がとても近いということ。すぐに誰もが一人対一人の環境に引き込まれ、一人ひとりがそれぞれの立場で何かしらの感動を持ち帰ることができる。そこには、いつもたくさんの仲間が彼女を手伝い、縁の下の力持ちの存在も大きい。

今井さんの活動実績と同じだけ、縁の下の力持ちの方々の活動実績があって、とにかくチラシ作り、チケット販売、自宅の会場準備、打ち上げの準備、お料理の準備、休憩時間のデザートケーキの準備、お茶の準備、会計、受付、著作本やCDの販売、留守番と、何から何までを、今までに彼女と共に活動してきた仲間達が、人と出会いたい・出会わせたいという彼女の強い想いの中で、輝いている。

こんな瀬戸内海の片田舎で何ができるの?なんて思わせない!

感動しよう!何でもできる!田舎だって一流の出会いはある!

これからも、一人の親として、人として、ますます輝き続けるにちがいない。そして、これからも共に成長していきたいなあ、と周囲の皆にそう思わせる彼女です。

今後の活動に乞うご期待!また、このホームページ上でも、今井さんの企画案内をさせていただきます。

筆者紹介

岡野八千穂
岡野八千穂しまなみ人びと発起人

18歳まで因島で育つ。三庄小、三庄中、因高、関学出身。大阪にて就職後、兵庫県立淡路景観園芸学校を卒業。28歳で因島に帰り、因島市役所広報担当の臨時職員に。趣味はダンスと畑作業。

★ダンス歴★ 3歳から18歳まで、平櫛バレエスクール因島教室(因島市民会館)に通う。体が強くなるようにと両親が始めさせてくれたおかげでダンスが大好きになる。16歳から2年間、金山幸美先生(因島三庄町)のモダンダンス教室にも通う。その後関西の大学でチアリーダー部に所属。20歳から5年間、泉克芳舞踊研究所(大阪谷町四丁目)にて泉克芳先生に師事。現在は、コミュニティダンススタジオStudio SHIP(因島三庄町)にて、ピラティスとバレエの普及に努めている。

★畑歴★ 小さいときの家族総出のハッサク詰みが原風景。因島フラワーセンターに勤務した経験を元に、因島の除虫菊を広める活動もしている。

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