キング・オブ・除虫菊

村上富夫村上富夫さん(観光用除虫菊栽培農家)

大正2年3月16日因島重井村(現尾道市因島重井町)生まれ。西条農学校(現広島県立西条農業高等学校)を卒業後、農家の後を継ぎ、80歳ごろまで現役で活躍。除虫菊栽培が全盛期の時代に、一家の長として働き、農業一筋。

現在は自宅の側の斜面で、観光用に除虫菊を栽培している。家族は妻、息子夫婦と孫の5人。今朝の朝食はパンと牛乳、ゆで卵と果物少し。 尾道市因島重井町在住、92歳。

除虫菊を育てるようになったきっかけは?

10年ほど前、80歳ぐらいの時に病気をしてから、それまでやっていた農業をやめて、除虫菊を育て始めました。除虫菊は市(旧因島市)の花なのに、せっかく観光客の人が見にきてくれても、どこにもなかった。除虫菊は育てている私らにとってもそれはきれいだった。それから、今でこそ傾斜地でぼろ畑じゃけど、昔は家から歩いていけるというのは敷田畑いうてね、すごく値打ちがあった。またそこからの景色がすごくいいんです。それから、この畑は先祖が積んだ石垣もいい感じだったので、そういう畑を遊ばすのがもったいないから、何とか活かしたいと思うてね。ここに除虫菊を植えようと決めました。

除虫菊畑の石垣の間に、瓶のようなものも挟まっていましたが

 

醤油樽や農薬瓶 今は使わなくなった、醤油樽や農薬瓶を再利用して、垣の補修をしています。

野菜作りはプロですんで、家の隣の畑2箇所で作っていますが、道を舗装してみたり、自分で道具を作ってみたり、他の人とはちょっと変わったことをするんが昔から好きなんです。

昔から、お宅でも除虫菊を育てていたんですか?

ええ、昔はそれはもう、夜でもほんと雪が降ったように真っ白で凄くきれいだった。その時分は屋敷中、それから学校の校庭にも、道でも広いところには除虫菊を干していました。朝の3時か4時ごろに起きて、朝早くから働いて、すごく収入が良かったから。とにかく人手が要るので、子どもは子守にあずけて、女も男の人と同じように外で働きました。女の人は家でも子どもを育てて炊事して、掃除から洗濯からして、外へ出たら男と同じように働いて、大変じゃったなあと今になったら思うんです。男は家ではご飯を食べたら、もう新聞でしょ?

若い頃の村上夫婦
除虫菊が全盛のころの夫婦での農作業

昔の除虫菊の育て方について教えてください

11月に麦の種を60センチ間隔で植えます。2月に麦の芽が出た下側へ(だんだんになってるので)除虫菊の苗を植えつけるわけです。6月に麦を刈り取って、除虫菊だけが残ります。この間へ、かみのり(紙の原料になるトロロアオイという植物)を撒くんです。そしてかみのりを12月に収穫して、また除虫菊が残る。それで次の6月に除虫菊の花が咲き、それを収穫するんです。除虫菊を6月に抜き取った後に、今度は芋を植えるんです。そして、11月に芋を収穫し、そしてまた麦を植える。除虫菊は3年に1回植えることになるから、だいたい畑の耕作面積の3分の1がだいたい除虫菊ということになるんです。除虫菊は種をまいてから20ヶ月せんにゃあ、花が咲かんのですよ。

年間表
クリックしたら拡大します(※月は旧暦です)

除虫菊について、いろんな人が訪ねてきますか

除虫菊畑 ええよく訪ねてこられます。今年は種を3リットルから4リットル欲しいいう人がおって、多くてびっくりしたんです。話を聞くと、外国のマラリアに苦しんでる国に送るんだそう。蚊取り線香とかを買うお金はないから、除虫菊の種を蒔いて育てようという団体で、まあ奇特な人がおってね。

それから、除虫菊畑の写真を撮ったからいうて、いろんな人が写真をくれます。ええのがまだたくさんあるんですが、気に入ったのはこうしてあっちこっちに掛けて飾っています。旧因島市の観光ポスターもあります。

昔のことを少し教えてください

この重井で大きな農家の長男として生まれました。西条農学校を卒業後、やっぱり農家の方がサラリーマンより収入がええから、農家を継ぎました。田熊には、西農の先輩がいます。とても面白い人で、彼は私のことを「はなさかじいさん」といいます。

役もあれこれやりました。重井村最後の村会議員もしたし、農業委員も長いことしました。

地域のリーダーとして活躍されたんですね

学校を出ていたので。あの頃は、だいたい農家から学校に行ったのは珍しかった。その当時の西条農学校は、産業科学教育の学校として全国でも生え抜きだったんですよ。

西条農学校のころ
西条農学校のころ。左から2番目が富夫さん。

戦争へも行かれたんですか

体が弱かったから30過ぎて終戦間際に行きました。外地には行かなかった。九州の築城ついきの航空隊で、通信をやってたんです。いばるようじゃが、通信ゆうたら一番優秀じゃった。暗号解読をしていました。数字で書いてある乱数の電報を、日本語に訳す。そんな難しいことはない簡単なんです。

今の1日のスケジュールを教えてください

村上夫妻 朝7時ごろに起きて、起きたらまず花に水をやります。で朝食。午前中は車で畑に行きます。どっちかいうたら畑で休むほうが多いんですがね。11時30分にはおばあさん(妻)との約束で家に帰ります。ついつい立ち話なんかをしとると長くなって、遅く帰ってくるとおばあさんがものすごい心配するんです。それから昼ごはんを食べて、昼からは今は相撲があるので観ますが、まだ車にも乗るので目が悪くなったらいかんので、テレビはあんまり見んようにしとります。それから夕飯を食べて、7時半ごろお風呂に入って、2時間もののドラマなんかを見て、10時までには寝ます。特別に健康に気をつけとるいうことはないです。酒もそう、欲しい酒じゃない、健康にええけえいうんで少し飲みます。

野菜はほとんど全部わたしが作ったもので、食事はおばあさんが作ったものを食べます。息子たちとは食事は別で、お風呂だけは一緒です。

今後の夢を教えてください

除虫菊の畑をだれか継いでやってくれる人がおらんかのと思ようります。あれだけの畑をほっとくのは情けない。去年ぐらいまでは元気で健康はあまり心配してなかったんですが、今年は指が3本動かんようになってきてね。一時入院もしてたので、今年はボランティアの人が花を刈ってくれたんです。花の刈り取りが一番大変な作業です。

尾道市との合併でそうではなくなりましたが、除虫菊は旧因島市の「市の花」に制定されていました。これまで市の花として愛されてきた除虫菊が、これからも地域の花として伝えられていくといいなと思います。

除虫菊について詳しくは以下のホームページをご覧下さい。

島に咲く花 除虫菊 – 尾道市ホームページ
いんのしま除虫菊マップ – 因島観光協会

(インタビュー・岡野八千穂 / 写真・川野良泰)

筆者紹介

岡野八千穂
岡野八千穂しまなみ人びと発起人
18歳まで因島で育つ。三庄小、三庄中、因高、関学出身。大阪にて就職後、兵庫県立淡路景観園芸学校を卒業。28歳で因島に帰り、因島市役所広報担当の臨時職員に。趣味はダンスと畑作業。

★ダンス歴★ 3歳から18歳まで、平櫛バレエスクール因島教室(因島市民会館)に通う。体が強くなるようにと両親が始めさせてくれたおかげでダンスが大好きになる。16歳から2年間、金山幸美先生(因島三庄町)のモダンダンス教室にも通う。その後関西の大学でチアリーダー部に所属。20歳から5年間、泉克芳舞踊研究所(大阪谷町四丁目)にて泉克芳先生に師事。現在は、コミュニティダンススタジオStudio SHIP(因島三庄町)にて、ピラティスとバレエの普及に努めている。

★畑歴★ 小さいときの家族総出のハッサク詰みが原風景。因島フラワーセンターに勤務した経験を元に、因島の除虫菊を広める活動もしている。

キング・オブ・除虫菊”へ2件のコメント

  1. 江本栄一 より:

    畑を趣味と実益を兼ねてつくっています。農薬を使いたくないの
    で、除虫菊の水溶液で殺虫剤をつくろうとおもっています。種をわけていただけないでしょうか。おねがいします。
    三重県四日市市北山町1708-23
    江本栄一 tel 059-337-0003
    fax 059-337-0157

  2. 楯 篤雄 より:

    鹿児島県屋久島で障害者の作業所作りをしています。
    地産を生かした夢のある作業を目指して昨年より蚊取り線香作りに取り組んでいます。小麦も作付けしてうどんも販売しています、麦や芋などの混植にも興味があります、除虫菊の栽培を今年挑戦してみたいのですが、少し種をわけて頂けないでしょうか。 〒891-4404
     鹿児島県熊毛郡屋久町尾之間658-1
     ℡&fax 0997-47-3032
     楯 篤雄

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