学生が見た平成の大合併を検証 卒業論文・市町村合併 広島県豊田郡瀬戸田町を事例に【5】

掲載号 06年05月13日号

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(3)対象地域および周辺地域の概要

(a)瀬戸田町

 瀬戸田町は、東経133度5分、北緯34度18分に位置しており、広島県の南東に位置する瀬戸内海の島・生口島(いくちじま)と高根島(こうねしま)で成り立っている。面積は32.76平方キロ㍍。人口は9606人の小さな町である。明治22年の明治の大合併の際に町制が施行され、昭和12~30年の間に隣接する村々を吸収し、現在の形となった。平成18年1月10日に因島市とともに尾道市に編入合併された。

 特産品はみかん、レモンなど柑橘系の果物で、レモンの生産量は全国の半分を占める。農業、造船業および観光業などが主な産業である。特に観光に力を入れており、耕三寺および耕三寺博物館、平山郁夫美術館、海水浴場であるサンセットビーチ、特産品である柑橘類を生かした公園・シトラスパーク、音楽専用ホールであるベル・カントホールなどが有名である。

 瀬戸田町は観音山と牡蠣山という2つの山によって南北に分断されており、島の北側と南側とでは生活圏域が全く違う。北側の地域は三原市を生活の中心としており、南側の住民は因島市を生活の中心地としている。

(b)因島市

 因島市は瀬戸田町の東隣にある島と、瀬戸田町の東端部分によって成り立っている市である。面積は39.76平方キロメートル、人口は27187人。平成18年1月10日に瀬戸田町とともに尾道市に編入合併された。市技は囲碁。因島市は史上2名しか存在しない、「碁聖」と呼ばれた本因坊秀策の出身地であり、囲碁ゆかりの地でもある。

 因島市と瀬戸田町は、協同の組合立で消防、ゴミ焼却、中学校経営などを行っている。瀬戸田町のある生口島の東端に因島市の一部があることもあり、両市町のつながりは古くからある。

(c)尾道市

 尾道市は、広島県南東部、山陽のほぼ中央部に位置する港町である。面積は110.95平方キロメートル、人口は92586人。平成17年3月28日に御調郡(みつぎぐん)の向島町(むかいしまちょう)および御調町(みつぎちょう)と合併した。平成18年1月10日に瀬戸田町および因島市と合併した。

 瀬戸内海(対岸の向島との間はその狭さから尾道水道と呼ばれる)に面し、古くから海運によって栄え、かつては海産物の集散地として繁栄したが、中心部は山が迫り開発の余地がなく、戦後産業構造が変化して行くにつれ、備後地方の中心都市の座を福山市に明け渡していった。しかし、平成11年5月のしまなみ海道の開通によって四国の今治市と結ばれ、交通の要衝としての地位を上げつつある。また、近年映画等で採り上げられた事を境に、市内のレトロな雰囲気の町並みや、瀬戸内海の景色を売り物に、現在は観光に力を入れている。坂道の多い風景から、映画監督の中には似たような風景に出会うと、「○○の尾道」と評するほどの印象深い地域でもある。

(d)三原市

 三原市は、広島県の中央東部、瀬戸内海を隔てて瀬戸田町の北向かいに位置する市である。人口82081人、面積204.74平方キロメートル。瀬戸田町とは古くから船での行き来が盛んだった。平成17年3月22日に、隣接する本郷町、久井町、大和町を合併で編入して新しい市となった。合併後の人口は106229人、面積は470.98平方キロメートル。

(e)しまなみ海道

 平成11年5月に開通した、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ約60キロメートルの西瀬戸自動車道の愛称。

 日本のエーゲ海とも称えられる美しい瀬戸内海に浮かぶ島には、個性的な10本の橋が架けられており、また各橋には、自転車歩行者専用道路(総延長は約80キロメートル)が設置されているため、全線を通じていつでもウォーキングやサイクリングを楽しむことができる。

(4)調査方法

平成17年10月14日から17日にかけて、調査対象地域である瀬戸田町に滞在し、瀬戸田町役場関連の方や元町長、そして合併の相手である因島市役所の方や尾道市役所の方々に対して、各々2時間程度のインタビュー調査を行った。インタビューのインフォーマントは以下の方々である。

  1. 瀬戸田町役場広域振興対策室 - 有光貢氏

  2. 因島市役所 合併推進室 - 村上宏昭氏

  3. 合併を考える会代表 - 前田嘉治氏

  4. 瀬戸田町前町長 - 田頭秀生氏

  5. 尾道市議会選挙出馬(現議員) - 飯田照男氏

  6. せとうちタイムズ記者 - 青木忠氏

  7. 尾道市・因島市合併協議会事務局 - 細谷睦夫氏
(次号に続く)

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