本因坊秀策記念館(仮称)策定委 囲碁のメッカを世界へ情報発信 建設予定地視察基本構想案急ぐ

掲載号 05年10月29日号

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 尾道合併後も囲碁のまち「市技」が引き継がれることになった因島市は、そのシンボルとなる偉大な棋士本因坊秀策記念館=仮称=建設基本計画策定委員会(村上栄昭委員長、13人)を7月13日設立。精力的に検討を重ねてきたが10月27日の第8回目の委員会で意見集約に漕ぎつけ次回最終委員会の結果を市長に答申する。

基本構想の夢は誇れる伝統文化

 後世碁聖と仰がれる本因坊秀策の生誕の地、因島市外浦町の生家は万延元年に建てられ、ワラ葺きの屋敷そのままが残っていたが、昭和47年に老朽化のためとり壊された。その後、生家復元の計画は掛け声にとどまってきた。

 「造船とミカンの島」が「フルーツとフラワーと水軍の島」を経て、平成9年(1997)囲碁を「市技」に制定した因島市。囲碁によるまちづくりの基本理念に「世界に誇れる伝統文化をめざし囲碁を活用、日本一の囲碁のまちを目指したい」という夢がふくらんできた。

 そのためには、どうしても碁聖本因坊秀策の生家を復元したい―という声が沸いてくるのも当然である。囲碁の愛好家だけでなく、プロもアマも、子供たちも一度は行ってみたいというメッカとして誇らしく、自慢できる施設を―と、委員会は知恵をしぼった。

三度目の正直

 委員会は、過去2度に渡って秀策記念館の設計を依頼され実現しなかった第一工房の加藤さんの意見を求め昭和50年代の「碁聖閣」計画案など検討資料にした。その結果、建設場所は、外浦町石切宮境内にある「本因坊秀策」顕彰碑に隣接した約1000平方メートルの敷地に白羽の矢を立てた。秀策が眠る地蔵院の墓地も一眺でき、普通車の駐車スペースも確保できるなど、囲碁のまちづくりの目的を具体化する舞台となり地域活性化の期待も寄せられそうだ。

 全体配置計画は秀策の墓地が見える東側の正面玄関を入ると、ロビーのガラス越しに「秀策庵(仮称)」が視界に入る。資料館内は囲碁文化に関する展示スペースとなる多目的ホールなど配置。秀策庵ではタイトル戦が可能なプランなどが盛り込まれている。写真は本因坊秀策記念館(仮称)建設予定地を視察する委員たち。

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