因島空襲から60年 三庄町で追悼住民集会 記念曲、紙芝居が完成

掲載号 05年06月25日号

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 太平洋戦争末期に因島が空襲されて今年で60年になるが、その体験の記録をつづける「三庄空襲を想い語る会」(連絡先・青木悦子TEL 0845-22-7135)は7月23日(土)午後1時30分から住民集会を開く。会場は空襲を受けた日立造船三庄工場跡地のしまなみ苑。この集会は今年で4年目。今回は戦後年記念行事として、記念曲と紙芝居を制作・発表する。

 記念曲は「平和の誓い」。作詞は深水信子さん、作曲が宮地佳余美さん。2人とも三庄町在住。紙芝居は「三庄空襲を想い語る」。原作は三庄町在住の田子森早苗さん、制作・因島支区退職女性教師の会、協力・三庄町在住者有志。またこの日の集会では、犠牲者への黙祷や体験者からの証言がある。主催者は「空襲犠牲者の方々のご冥福を祈り平和の大切さを後世に伝えたい」と語る。

住民に死傷者

 太平洋戦争末期の昭和20年3月19日、7月28日と2度にわたって、日立造船因島工場を中心に土生町と三庄町へ米空軍による空襲があり、多くの犠牲者が出た。三庄町7区と8区では民家も爆撃をうけ、住民が死傷した。当時の状況について三庄小学校の教師であった故松本隆雄氏は、「ふるさと三庄」(三庄老青会連合会発行)のなかで次のように語っている。

 三庄工場の方で爆弾が炸裂する地ひびきが数回しました。現地を見に行きましたら七区の私の家附近に池のような穴が出来て家は跡かたもなく飛び散っておるのです。この附近の家も破壊され大混乱でした。この時十数人の死者があったことを思い出します。

 「三庄空襲を想い語る会」の活動が始まったのは4年前。7月28日を記念日に集会を開いてきた。

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