新尾道合併で次の一手を模索【下】碁聖・本因坊秀策生誕の地因島市 囲碁のまちづくり道半ばの「市技」

掲載号 05年05月28日号

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七大タイトル戦 因島が達成

 全国の自治体で、囲碁を町興しに取り入れているのは、神奈川県平塚市で毎年「湘南ひらつか囲碁まつり」を開催。長野県大町市は「アルプス囲碁村」を標榜、全市を挙げて展開。このほか、日向市、船橋市、黒石市、白石市なども囲碁との結びつきが強い。

 この中で、因島市は囲碁を全国初の「市技」に制定。市民ぐるみで囲碁協会を組織運営してきた。テニスのウインブルドンの精神にあやかり、因島市に住むことを誇らしく自慢でき、他人に夢を与え語れるまちづくり―を推進、日本一の「囲碁のまち いんのしま」を目指すという大きな目標を掲げてきた。

 その一つに、七大タイトルを招致、日本初のグランドスラムを今年3月で達成した。さらには、本因坊秀策生家の復元、囲碁文化博物館の建設計画などがあがっている。長期的な展望として「囲碁のメッカ因島」といわれるような歴史情報活動の全ての面で世界的にも注目される施設整備を行う必要がある。周辺施設としては囲碁会館、物産販売、宿泊施設の機能を備えた複合施設の整備も必要である。

自治体の取り組み

 そうした計画が、平成の大合併により、そっくり新尾道市に移されることになった。「市技」を協議する尾道市の窓口は観光文化課だというが、囲碁に対する関心度も低く、一般市民による興味も薄い。肝心の日本棋院尾道支部も存在しない現状。さらに新尾道市との合併協議会には、新しく編入した向島、御調代表の意向も調整しなければならない。因島市の所管は官民代表で組織されている囲碁のまちづくり推進協議会(会長、宮地正助役、理事長、二神勇商議所副会頭。事務局は市教委生涯学習課)。現状では入口と出口のない迷路に入ってしまう不安がある。

囲碁の歴史とその役割

徳川家康
徳川家康

 囲碁の歴史は数千年を有し、日本には千五百年ほど前に中国から伝来した。平安朝には公卿や僧侶が親しみ、戦国時代には武将も。江戸時代には幕府が保護して家元制度が確立。明治以降は大衆の知的な娯楽として普及した。世紀は高齢化社会の生きがいゲームになっていたが、テレビでアニメ化された「ヒカルの碁」の影響で「お洒落でカッコイイ」と青少年の間で囲碁が爆発的なブームになってきた。いまや囲碁が高校・大学の授業の正課に導入される時代で、せっかくボランティアの底上げで囲碁のまちづくりが緒についたところで「合併」というワク組みの中で置き去りにされるのは関係者にとってしのびないことである。

ソフト・ハード 学校教育の現状

 囲碁のまちおこしを取り組んでいる因島市教委も、小中学校のゆとり時間やクラブ活動に囲碁をあて、県立因島高校は囲碁部を新設、県代表選手を送り出している。女性を対象としたレディースの囲碁教室メンバーも各種大会で活躍するようになった。市民ぐるみで支えられてきた「市技」だが、ソフト、ハード両面にわたってのボランティア活動には限度がある。「新尾道市技」制定記念に三大タイトルの一つ「本因坊戦」の招致の話が進んでいるが、資金面を含み課題は山積している。

世界遺産めざす尾道と「市技」

 本因坊秀策を語り継ぐには、尾道市久保にある江戸期の豪商、橋本家の縁(えにし)を欠くわけにはいかない。秀策の幼名、虎次郎と呼ばれていた6歳の頃、囲碁の天分、才能を見つけ出したのが橋本吉兵衛竹下(ちくげ)であり、息子静娯の2代に渡って物心両面で秀策を支援。秀策も江戸の金融経済などを詳しく書き送った書簡などが残っている。このほか秀策の先輩格に当たる史学者・頼山陽、恋人の女性画家、平田玉薀(ぎょくうん)、福岡出身の日本画家、田熊村竹田など多くの文人墨客と親交のあった橋本家の保存についても市技と切り離せない。

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