殿堂入りした秀策小伝 ヒカルの碁と源氏物語

掲載号 05年04月01日号

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 日本棋院創立80周年記念式典出席の帰路、偉大な幕末の棋士、碁聖・本因坊秀策の子孫である故桑原八千夫先生をはじめ今日までご縁のあった秀策伝記にかかわる著書やプロ・アマ棋士が走馬灯のように脳裏を駆けめぐっていた。車窓の富士山を楽しみにしていたがあいにくの曇り空。そんなとき、東京・囲碁殿堂資料館に展示されていた「秀策母子愛用の碁盤」が浮かび上がってきた。母カメが幼名虎次郎を身籠もり激しいつわりの苦しみをやわらげるため碁盤に向かっていたと伝えられる。秀策は胎内にいるうちから囲碁にかかわっていたわけで、幼少より母から囲碁の手ほどきを受け、後に天下無双の大棋士になっても帰郷すればこの碁盤で研鑽、後輩の指導にあたったという。材質的にはけっして上等な代物ではないが「秀策のよだれや手汗がついている由緒ある碁盤」。故桑原先生ご自慢の一品でもあった。

 昔の絵画や物語という表現世界に囲碁対局や碁盤、碁石が登場する場面がある。そのほとんどが脇役で刺身のツマのような役目である。それをストレートな主題、主役にしたのが漫画雑誌少年ジャンプ連載で大ヒットした「ヒカルの碁」(原作・ほったゆみ)ではなかろうか。因島石切宮内にある碁聖閣でお会いしたとき、ほったさんは「ストーリーに登場した平安時代の棋士・藤原佐為も現代少年ヒカルも、みんな架空の人物。漫画を担当した小畑健先生もモデルはいなかった。秀策先生だけが唯一のモデルかも知れない」という。

 そのことで、気になっているのが。源氏物語に出てくる空蝉(うつせみ)と浮舟(うきふね)の話である。二人とも身分低く薄幸な身の上。ある夏の日、後家となった空蝉と、若き浮舟が囲碁を打っている場面の描写である。美形の浮舟は胸元をはだけ甲高い声をはりあげる。それに比べ空蝉は容姿こそ老けているものの盤上に碁石を置く指先のしぐさにも上品な振る舞いが陰から覗き見していた光源氏の心をとらえる。一方、失恋した浮舟は川に身をなげ尼寺にかくまわれるが、唯一興じたのが囲碁で、めっぽう強かった。勝負事は、つい熱中して本性を表すが、その情景を作者の紫式部は…  (続く)

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