海賊・自由と仲間と家族と【2】序章 海賊たちの海へ(続)

掲載号 05年02月19日号

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ことばの輝き最優秀賞作品 因島高校三年 村上君佳

 私がこの二つの作品から読みとった大きな点は、「海と陸は違う」ということである。多くの教科書は陸の視点から見られている。その証拠に、海賊たちの行動には、教科書で教えられた見方、すなわち陸の武士の見地で考えると理解できない点が多い。

 なぜ彼らは地位よりも自由を望むのか、なぜ辛い目に遭っても切腹を考えないのか、そして、なぜ歴史の表舞台に出ることがなかったのか。今回の課題研究では、『落第忍者乱太郎』と『秀吉と武吉』の時代、室町・戦国時代を中心に、四方を海に囲まれた島国日本を、陸の武士の見方ではなく、海賊・海の民の見方で眺めてみたい。海賊たちの海へ、いざ出帆……。

一、瀬戸内海―日本の生命線

熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

額田 王

 瀬戸内海―四季温暖なこの海は、古くから海上交通の要路であった。上記の和歌は、奈良時代に編纂された現存最古の歌集『万葉集』から引用したものであり「熟田津(にぎたづ)」とは、今の愛媛県道後温泉付近の船着き場のことである。この歌からも、瀬戸内海は古くから、人々の暮しに欠かすことのできない海だったということが読み取れる。では、瀬戸内海が日本の歴史と繁栄にどれほど関わりがあったのか、さらに詳しく調べてみたいと思う。

一、瀬戸内海プロフィール

大きさ

東西440k㎞。

島の数

大小合わせて約3000!

特徴

  1. 本土と四国の間が狭まったところに、天然の関所とも言える島の密集地が2カ所ある。西の密集地は”芸予諸島”、東の密集地は”塩飽(しわく)諸島”と言う。芸予諸島では豪族河野・村上が塩飽諸島では塩飽衆という海の勢力が活躍。

  2. 地図を見ての通り、地形が複雑。

  3. 潮流の変化が激しい。流れも速い。潮流速度 芸予諸島の能島付近と、芸予諸島南端来島海峡は、潮の速さで知られる海の難所。能島付近・来島海峡の潮流の最高時速は9ノット(1ノット=時速1852m、9ノット=時速約17㎞)。海賊時代の船の速さは、せいぜい5、6ノットどまりと推定されるので、9ノットというのは随分速い。現在でも、小さい漁船ならば、エンジンを全開にしなければならないほど。

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