幕末本因坊伝【25】日本棋院囲碁殿堂資料館(6)源氏物語に登場する囲碁描写

掲載号 05年01月22日号

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庚午 一生

 日本古来からの絵画に囲碁将棋の対局風景が登場する。小説や映画で表現される囲碁の場面は武将とか旦那衆など身分の高い人たちの対局が多い。だが、江戸期の浮世絵には遊女の調度品として碁盤石が描かれている。なぜ、そこに囲碁があるのか。囲碁と遊女の表現の理由などについて興味がそそられ、私なりに理屈を考えてみることが多くなった。

 十数年前のことである。本因坊秀策の伝記「虎次郎は行く」の連載を始めたころ、秀策に囲碁を教えた母カメの人間像、囲碁をたしなむ女性の生活環境を覗(のぞ)き見したくなった。

 そんなとき、平安中期の長編小説である源氏物語に登場する人物たちが囲碁を打ち、碁の用語でやりとりする場面を思いだした。断っておくが、この項は母カメとは関係ない話である。

 物語の前半に登場する空蝉(うつせみ)の君と浮舟の君。二人とも身分低く薄幸な身の上である。空蝉が後家となって嫁ぎ先の義理の娘と碁を打つところを光源氏が物陰から覗き見していた。

 若い娘の浮舟は顔立ちも華やかであるが、夏のことで胸元をはたけ盤面に熱中していた。対局が終わると甲高い声を張り上げて「地」を数えた。

 それに比べ、空蝉は容姿こそ老けているものの碁石を盤上に置くと、その指先をそっと袖口に戻す上品な振る舞いに光源氏の心をとらえた。

 勝負事は、つい熱中して本性を現すものである。その情景を作者の紫式部が空蝉の内面の美、落ちぶれた身の悲しさ、盛りを過ぎ老いてゆく女心を囲碁の対局によって表現するあたり心にくいとしかいいようがない。

 一方で、若く美しい容姿を持つ浮舟は公卿たちを魅了するが生まれながら卑しく育ち後ろ盾もなく、教養もない。身分高い男たちに捨てられ入水自殺を選んだが、それも果たせない。尼寺にかくまわれて唯一興じたのが囲碁で、強かった。田舎育ちで身分低く教養もない浮舟の特技が囲碁であったことでヒロインの浮舟像にスポットをあてている。

 囲碁の強い女は「頭がいい」と思う人。「気が強く負けず嫌いな女」という人もあろう。作者の紫式部は、髪を下ろして尼になった浮舟を慕って都からきた男の使いに心を動かさず、優美で激しい女性像を囲碁の名手という特技を与えることで表現している。

 時代は下って江戸期に入ると、鮮やかな色彩で楽しませてくれる浮世絵に囲碁が登場する。

 女性をモチーフにした美人画では、碁石を握る対局の姿を描いたものもあれば、背景の中に調度品の一つとして盤石を描いたものもある。モデルは美人で、遊女の場合が多い。それも全盛期の太夫たちである。上臈が女郎という言葉を生み出したという説があるほど、高位の遊女といえば売色を生業としながらも、例え大名を相手にしても位負けしない存在として認識され、子供の頃から血の出るような修行を積んで教養をつまなければならないとされた。

 最高位の太夫を描く画家は、櫛かんざしの豪勢さ、衣装のあでやかさ、室内の調度品からも遊里での身分を表現しようとする。その一つとして碁盤石も遊女の身分教養など浮き彫りにする小道具の一つにした。特に、蒔絵をほどこした豪華な碁盤石は遊女の位高く権勢を誇る調度品の一つでもあった。(写真上)

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