瀬戸田町長選挙 立候補予定者に聞く

掲載号 04年10月16日号

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 告示を19日(火)に控えるなか、いっそう熱をおびてきた瀬戸田町長選挙。昨年と同様に、候補者は柴田大三郎、田頭秀生の2氏にしぼられた。再び激戦をくりひろげる両立候補予定者の想いを聞いた。質問は、

【1】経歴
【2】出馬表明の動機
【3】合併方針について
【4】選挙戦をいかにたたかうか

柴田大三郎氏

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【1】経歴 昭和39年瀬戸田高校卒。同43年東京農大卒。同62年瀬戸田町助役。平成7年瀬戸田町長。同11年2期目。同15年3期目。59歳。

【2】 私は3期目、合併の成就のためにがんばってきた。それをやりとげたい想いの継続として立候補の表明をした。町長とsて合併問題に当初からかかわっており合併の流れが良く理解できている。

【3】 尾道市が早い時期に1市2町の合併協議を決めたので、その選択肢が消えた。その結果三原広域を選択した。ところが尾道市長がら、改正合併特例法のもとでの合併の可能性がまだあるのではないかとおさそいを受けた。

尾道との類似性

 もともと10万人規模の合併を望んでいた。瀬戸田町と因島市を含めれば2市3町で15万人を越す。尾道・因島市と瀬戸田町は架橋促進をつづけてきた仲間であり、消防、衛生など行政ペースで広域行政をすすめてきた。2市3町合併はしまなみ海道を生かすということだ。国際芸都市をめざす尾道市と瀬戸田町は類似性がある。平山美術館や耕三寺を通じた連携が期待できるのではないか。さらに、みなとオアシスやTMO(町づくり機関)で町の活性化を図りたい。尾道市との協議は、瀬戸田町、因島市が別個に行うほうがスムーズに進むと考えている。それぞれの想いを聞いてもらったほうがよい。因島市との関係の修復はその後になる。

【4】 住民運動とのつながりがある田頭さんの方と比べて立ち遅れている。なぜ三原から尾道に変わったのか、町民に一生懸命説明していきたい。この間、時間をかけて話し合うなかで、ある程度、理解をいただけたと思っている。当選できれば、町議会に尾道しか合併さきが残されていない現状を説明したい。瀬戸田町の将来と町民のために理解していただくしかない。

田頭秀生氏

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【1】経歴 昭和30年瀬戸田高校卒。同40年瀬戸田運送(有)代表取締役。平成9年名荷区区長。同11年瀬戸田町議会議員。67歳。

【2】 昨年は、電話一本で因島市との合併協議を断り。三原行きを決めた柴田さんの手法に疑問をもち出馬を決心した。今回も、訪ねてこられた尾道市長に、追い返すのと同然の失礼な対応をしながら突然、尾道行きをかかげて出馬表明した。礼儀を重んじないとんでもない事だと思った。

【3】 私は、当初より一貫して、国際芸術文化都市をかかげ、世界文化遺産登録をめざす尾道広域とのしまなみ海道を活かした合併を訴えてきた。そして、そのための勉強会を大学の先生、経済人、ジャーナリストを招いて討議してきた。私の方が本流-と言いたい。逆に、助役8年、町長10年何をしていたのかと、柴田さんに問いたい。

町再生の合併

 合併がさけて通れない道ならば、いかに良い条件で進めていくかが問題となる。そのためには島々が仲良くし、島同市の協力関係を築くことが大事になる。この点でも柴田さんのやり方は理解に苦しむ。三原から尾道へと主張を変えたといっても尾道市との合併は、柴田さんには実現できない。まったく信用にあたいしない。昨年の町長選挙のときには、当選すれば県立瀬戸田病院問題に取り組むと約束したにもかかわらず、一切何もしていない。尾道市との合併協議で瀬戸田町のために良い条件を通して瀬戸田の再生を進めて行きたい。

 

【4】 選挙準備の立ち遅れも回復しつつある。昨年の選挙と比べ手応えを感じている。ともに動いてくれる人が確実に増えているのが、心強い。それだけ責任は重い。当選できれば、私のかかげる主張は、町議会にも真摯に受け止めていただけると考えている。

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