二転三転した瀬戸田町の合併の道程 ふりまわされた住民と周辺自治体
掲載号 04年09月11日号
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平成14年(2002年)
3月4日 柴田町長、町議会で「三原広域対等合併を目指す」と表明。
8月12日 町議会は三原広域任意協傘下負担金を7対8で否決。
平成15年(2003年)
4月27日 町長選で柴田町長が三原広域合併を公約に掲げ62票差で3選。
8月10日 因島市との法定合併協議会設置の是非を問う住民投票で両市町とも賛成が過半数を達した。
平成16年(2004年)
3月13日 第5回法定協以来、協議中断。
26日 町議会が新年度法定協負担金を当初予算案から削除。(9対6)
4月9日 町議会が法定協離脱決議(9対6)
6月17日 柴田町長が法定協離脱を声明。
25日 記者会見で「因島市との離脱は実質的に三原広域に限られる」と発言。
30日 柴田町長 初の住民説明会。
8月20日 亀田良一尾道市長が瀬戸田町長を訪ね合併選択肢を打診。
26日 柴田町長は、合併の相手先を問い直す住民投票を年内に実施する意向を表明。
27日 柴田町長の解職を求めるリコール運動開始。
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