住民投票あれから一年 因・瀬合併協5ヵ月休止の惨状 民意をどこまで踏みにじるのか

掲載号 04年08月21日号

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 合併特例法に基づく因島市と瀬戸田町の法定合併協議会設置の賛否を問う住民投票によって法定協設置が決まって、8月10日で1年が過ぎた。多くの両市町住民の期待をうけてスタートした法定協は、休止したまま5ヵ月以上が経過し、なおかつ全く打開策が提示されないという、惨状である。民意の蹂躪と住民不在の1年間でもあったとも言える。

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 村上和弘因島市長と柴田大三郎瀬戸田町長は笑顔で握手=写真=。柴田町長は、「住民投票で示された民意を尊重し、法定協での協議を粛々と進めて行く」と、決意を表明。昨10月30日、第1回協議会が開かれ、第2回(11月30日)、第3回(12月20日)と無難なスタートをきったかに思えた。しかし、水面下では、法定協を機能停止に追いこむ動きがはじまっていた。

 それが一挙に顕在化したのは、1月17日の第4回協議会のことであった。その冒頭、瀬戸田町の委員である杉原正也区長会会長と向山達夫議員が、「法定協の設立を決めた住民投票が、誤った情報で誘導された可能性がある。この協議会でその点について明確にされない以上、協議は進められない」と、繰り返し発言し協議をすべてストップさせた。

 様々な調整を経てようやく第4回協議会開催にこぎつけたのは3月13日。両市町の法定協負担金を全会一致で承認。それをうけて因島市議会は可決。ところが翌26日、瀬戸田町議会は、それを否決。そして4月9日、法定協離脱決議の暴挙に走った。法定協の副会長である柴田町長は、その責任を果すことなく、この事態を放置するばかりか、自ら6月17日法定協離脱声明を発表し法定協の機能を停止させてしまった。

無為無策のまま泥沼状態に突入

 無為無策の因島市側の責任も大きい。因島市議会は瀬戸田側のゴミの受け入れを拒否する姿勢を強め、6月28日衛生施設組合議会での決議を強行。村上和弘市長もゴミ搬入拒否の方針を表明するにいたった。こうした因島市側の強行策は、瀬戸田側の譲歩をひきだせないばかりか、両市町の住民同士の無用な感情的対立をあおり、泥沼状態を加速させ、法定協再開を遠のかせるだけである。

 瀬戸田町の「離脱決議」と因島市の「ゴミ搬入拒否決議」とも法的拘束力をもつものでない。法的拘束力をもたない両市町の首長の声明や議会の決議が、合併特例法という法的拘束力を有する住民投票の結果や法定協の開催を妨げているという、異常な無法状態が横行しているのである。これを住民不在と呼ばずして何と呼べようか。民意とはこれほど軽いものなのか。どこまで住民は、その蹂躪を耐え忍ばねばならないのか。住民のイライラは極限に近づきつつある。

 住民投票から1年を経た今日、瀬戸田町において、自ら法定協設置を実現させた住民が、柴田大三郎町長リコールの準備を開始したと言われている。泥沼化し、まったく出口の見えなくなっている法定協。いまこそ住民の決断が問われている。

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