芸ひとすじの人生 西川流師範 田名後絹江さん(62)

掲載号 04年06月05日号

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 芸ひとすじの道を歩んできた、西川流師範の田名後絹江さん(62)が、因島市文化協会から功労賞を受賞した。

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 「芸で身をたてなさい」と親の強いすすめで、三味線を小学校4年生、踊りを6年生で習い始めた。踊りが好きで、授業中もそのことばかり考えていた。

 田熊中を卒業後、直ぐに踊りの道に入った。20歳で名取り、30歳で師範。芸一筋の人生だった。芸名は西川歌扇。踊り教室45周年を記念して、今秋の11月、市民会館大ホールで西川歌扇の会発表会を開く。出演は総勢80人。

 しかし、順風満帆とはいかなかった。ご主人が急死したのは、彼女が33歳のとき。しかも京都祇園の南座出演を1カ月後にひかえていた。3人の男の子はまだ小学生。それ以来、子育てと踊りにと大車輪の生活がつづいた。子どもたちも耐えて良くがんばってくれた。踊り一本の生活にもどれたのは15年前ころ。

 「死ぬまで修行」と語る田名後さんは大阪の西川鯉右(こいすけ)師匠のもとに通う。津軽三味線や銭太鼓にも芸域をひろげた。因島と生名での教室も多忙。「堅苦しくなく友だち同士のような教室」をもつことが夢だった。若い生徒にどんどん来てほしいと願う。

 土生町在住。3人の孝行息子はすべて独立。お孫さん2人。息子の健吾さん(36)のホームページはこちらからどうぞ。

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