平山画伯記者会見【2】 経済支援だけでなく文化財保護で国際貢献を

掲載号 04年04月03日号

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 ―アフガニスタン文化財保護の支援を呼びかける理由について

 この国の独立した国家形成は18世紀で、比較的新しいと言えるでしょう。しかし、歴史を溯れば、遺跡や出土品から古代より東西南北から交易路が交差しており「文明の十字路」であったといわれています。遺跡の発掘は64年から始まったが79年末の旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻により中断。その後、20数年におよぶ戦乱の中で、出土品の多くは破壊されたり、海外に持ち出されました。カブール博物館も激しい内戦の被害を受け弾痕のあとも生々しく、同館の入り口には「文化と歴史が生き残れば、国もまた生き残れるだろう」と書かれた幕が張られている。こうした現状を放置しているわけにはいきません

 ―バーミヤンの大石仏には特別の思いがあるようですが

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 初めてバーミヤンを訪れたのは1968年7月。仏教伝来の道をたどる旅の途上でした。海抜2600メートルの高地にある岩山断崖に50メートルを超す大石仏が偉容をさらしていた。7世紀、仏の道を求めてインドへ旅した玄奘三蔵は、ここに立ち寄り金色に輝く大石仏に感動したと「大唐西域記」に記されている。私の眼の前の大石仏は、顔を削られ、両手はなく、足も傷ついていたが、厳しい自然の中で仏教文化を伝え続けた姿か、と思うと胸が高鳴りました。まさか、大石仏が、むざんにも破壊されてしまうとは、夢にも思いませんでした=写真=。そして、首都カブールの町は、活気にあふれていましたが、79年のソ連軍侵攻で始まった長い戦乱の日々が続き市内の大半は廃墟と化しています。

 ―京都大学や名古屋大学などが文部科学省の研究費でバーミヤン石窟やその他の発掘を行い学問的な成果を上げているようですが

 日本にとって一過性の学術調査研究でも貴重な機会であった。だが、今日では経済支援だけでなく、紛争時における世界の文化遺産の保護も国際貢献として求められている。人道援助、災害支援に加え、文化の国際貢献はさらに精神的にインパクトが強いと思う。

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