平山画伯記者会見【1】 破壊大石仏修復せず負の遺産のままで

掲載号 04年03月27日号

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 戦乱により美術館などから略奪、遺跡からの盗掘、賣買により世界中に散逸している文化遺産の保護を訴える「平山郁夫からの緊急アピール~流出文化財を守れ―アフガニスタンそしてイラク」展が瀬戸田町の平山郁夫美術館で20日開幕。この日午前9時から記者会見を行なった平山画伯は「難民を人道的に救うように、文化財も難民同様に救済する”文化財難民”という提言でユネスコを通し文化遺産の保護を訴えている」と次の様に語った。

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泥棒によって守られた遺産

 アフガニスタンのバーミヤン大石仏が偶像崇拝を禁じるタリバン・イスラム原理主義政権の命令で爆破されたのは2001年3月のことでした。自国の財産である文化財を一国の統治者の命令で破壊する暴挙は近代の歴史ではないことですーと、うつむきかげんで淡々と語る平山画伯。もし、破壊命令を忠実に守っていれば、東西文明の十字路として栄えた中央アジア、アフガニスタンの文化財はすべて失われていたにちがいありません。皮肉なことに命令に反してカブール博物館から略奪したり遺跡から盗掘した「犯罪者」たちのおかげで、古美術商などのルートで欧米や日本へと流出し、美術愛好者たちの手元で保管されてきました。そこで、文化財についても人道上、緊急の措置として難民制度と同じ発想で保護や回収ができないだろうか―と、ユネスコの総会に提案して受け入れられました。2001年に私(平山氏)が代表者になって「流出文化財保護日本委員会」を組織、売買でなく、説得によって返してもらうよう試みました。このようにして集まったのが、この展覧会で、全部で点。なお、首都カブール国立博物館が再建されたあかつきには、アフガニスタンに返す予定にしています。しかし、この救済活動が道半ばにしてイラク戦争が始まり、また貴重な文化財が失われた

 ―と沈痛な表情で平和を訴える。さらに、バーミヤン大石仏の爆破は住民の望むものではなかったことを説明。ユネスコでも復元を希望する意見もあったが私は反対してきた。広島の原爆ドームと同じように「負の遺産」として現状のままで次世代へと引き継ぐべきだと主張している。石仏を守れと私たちが叫ぶ一方で、国連はアフガニスタンの経済封鎖をし、罪なき人まで苦しめた。文化財を守るにはまず人を守らなければいけない。大石仏の復元の費用を人道的なものに使って、その上でカブール博物館復興後にレプリカをつくることも考えているが、破壊されたバーミヤン大仏立像の復元は歴史遺産の伝承という考えからも賛成はできない、ときっぱり否定。そして、日本の代議士先生がローマの遺跡の見学に訪れ「戦渦の跡ですかと質問した」という比喩に苦笑するひとコマもあった。

(つづく)

平山郁夫画伯] 1930年(昭和5年)6月、広島県瀬戸田町生まれ。修道中学時代に被爆。忠海中学転校―52年東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科卒後、前田青屯に師事。53年原爆後遺症と闘いながら描いた「仏教伝来」が注目され61・62年日本美術院賞(大観賞)73年東京芸大教授、89年同大学長、96年日本美術院理事長就任。98年文化勲章受賞。シルクロード各地の取材旅行は百数十回にのぼる。

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