島に生きる【50】因・瀬合併と東生口 どこまで反映 独自の意見

掲載号 03年11月01日号

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 因島市と瀬戸田町の合併協議会は30日、ついにスタートした。しかし、洲江町や原町の東生口地区を代表する委員はいない。確かに洲江町出身の長田丕議員が委員に名を連ねているが、それは因島市議会副議長としてであって住民代表でない。合併協議にどこまで東生口地区の独自意見が反映するか、不安がる住民は少なくない。

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 昭和28年の合併によって発足した因島市のなかで同地区は独特な位置を強いられることになった。28年当時生口島は、現在のような島一周道路はなくそれぞれの村落を巡航船や伝馬船が結んでいた。赤崎と金山の間は伝馬船が通い因島へのフェリー便は日立造船専用のものだけであった。こうした状況のもとで東生口村は因島との合併を選択した。

 しかし、時代の変遷につれて、生口島に2つの行政区割りがあることの不都合さが様々な問題を生み出した。また、因島側との格差の広がりを指摘する住民は多い。たとえば公共施設においても「誇れるのは養護老人ホーム『寿楽園』だけだ」と指摘する人もいる。

 現在、因島市と瀬戸田町の合併協議が進行するなか洲江町や原町の住民の「今度こそは」との意気ごみを感ずる。

 ある女性から「なぜ東生口の住民代表が協議会にいないのですか。おおいに力になれるのに」と質問をうけた。ある男性は、「東生口は、因島のことも瀬戸田のことも、両住民の気持ちも良くわかる。必要なら合併の仲人をかってでてもいい」と語った。

 写真は第1回因島市・瀬戸田町合併協議会。

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