傍目八目

掲載号 03年08月15日号

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 今年の夏は短そうだ。旧盆を迎えると東風(こち)が吹き土用波が高くなる。赤トンボが飛び交い朝夕は秋風がしのび寄る。敗戦のドン底から不死鳥のように立ち上がった造船業界。定時制の因島高校生のほとんどが日立造船と関連企業で働く勤労青少年だった。昭和年5月、御調郡下の6ヵ町村と豊田郡東生口村が合併して因島市が誕生した。全国でも珍しい1島1市の島として注目されて50年。

 造船が基幹産業の城下町として栄え、島内に2つの高校ができた。栄枯盛衰は世の常。オイルショクに続き昭和60年代に襲った造船業界の構造的不況は、島が沈むとまでいわれた。関連企業も飲み込んで地獄の底をのぞいた。幸か不幸か、バブル景気を味わうこともなく被害をこうむることもなかった。

 平成11年5月夢の架け橋だった西瀬戸自動車道「しまなみ海道」が開通。観光ブームにわいたが一過性に終った。そして平成の大合併の渦の中で芸予の中核都市因島市は新たな未来像の模索を迫られている。

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