望ましい合併とそうでない合併【05】 魚島との交流続く椋浦

掲載号 02年11月09日号

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 椋浦は実にユニークな村落である。江戸の中末期の繁栄と衰退、明治の三浦村からの分離・独立運動、戦後の椋浦教育運動の発展と小学校の廃校など。これらは、椋浦の住民が時代の変遷に抗しながら、村落の自主性を守り抜こうとした歴史であった。

 今年2月、椋浦町民文化祭で愛媛県魚島村民と椋浦町民との交流会が開催された。明治時代に魚島から椋浦に集団移住があって、今でも同村の氏神祭では椋浦を遠く望める丘に神輿をかつぎあげては拝礼しているという。

 また魚島村民が、離島であることを逆手にとってどのようにして豊かな生活を作り上げてきたかなど、話題に花が咲いたという。

 それぞれの自治体が成り立っていくには、こうした地域へのこだわりとその地域で生き抜いていく強い意志を持った住民の存在が不可欠である。

 現在進行する市町村合併の動きははたしてどうであろうか。一歩間違えば、こうした地域への愛着など解体しかねない。そうならない合併のありかたはないのであろうか。

 平成の大合併で椋浦町のようなユニークな歴史と自治意識を持つ村落はどうなるのか。まるでこのような少数意見など意に介さず事態は進行していく気配だ。しかしこうした時代こそ事態を打開する発想と施策を生みだすときでもある。

 椋浦町の区長会長川島進さんが語る「まだまだわからんぞ。これからの時代はどうなるか」という言葉が妙に印象的であった。

青木忠

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